コロラド州の我が町は気温の変化が激しく、数分で激変することもあります。ですから、夫は屋内外の温度差に興味を持ち、家の周りの4カ所の温度測定ができる温度計を買ってきて、気温の違いを調べています。くだらない装置だと笑った私も、今では頻繁に温度をチェックして、外と内の温度の差を面白がっています。
イエスはラオディキアの教会を「生ぬるい」と温度で形容されました。そこは、ヨハネの黙示録に登場する7つの都市の中でも最も裕福な都市の一つで、金融、繊維産業、医療の中心地でしたが、水が不足していたため、温泉の水を引いていました。温泉水が水路を通ってラオディキアに着くと、その水は熱くも冷たくもありませんでした。
教会は熱意に欠けていました。イエスは「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す」(黙3:15-16)、「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい」(19節)と言われました。
救い主の私たちに対する思いも同じです。イエスの忠告に従い、イエスに助けていただいて熱い信仰に生きていきましょう。
あなたの信仰の温度はどれくらいですか。神に対する態度が生ぬるいなら、どのように祈ってひたむきな熱い思いをいただけるように求めますか。
父なる神よ、あなたに対する情熱が冷めているなら、御霊の愛の熱で私の信仰を目覚めさせ、温めてください。