その子の名前は1年以上も「ベイビーボーイ」でした。病院の警備員が、袋に入れられ駐車場で泣いていた生後数時間の新生児を発見したのです。ほどなく、社会福祉事務所の仲介で、ある夫婦が引き取り、グレイソン(仮名)と呼びました。養子縁組が法的に認められて、ようやく、グレイソンが彼の本名になりました。今では、明るくおしゃべり好きな幼児です。悲惨な状態で捨てられていたとは誰も想像しないでしょう。
晩年、モーセは、神の品性とイスラエルのために何をしてくださったかを総括し、「今のように特別に目をかけていただけるのは、ただ主が私たちの先祖を愛されたからです」と述べました(申10:15 リビングバイブル訳)。神の愛の対象は広く、「みなしごや、やもめのためにさばきを行い、寄留者を愛して、これに食物と衣服を与えられる」(18節)、「この方こそあなたの賛美、この方こそあなたの神です」(21節)と語りました。
養子縁組であれ、単なる親切やボランティアであれ、私たちは皆、神の愛を反映しなさいと召されています。この夫婦は、神に召されて主の手足となり、人知れず亡くなっていたかもしれない子どもに神の愛を届けました。私たちもまた、神の手足となりたいものです。
神の愛を大小さまざまな形で受けていると感じていますか。具体的に言い表してみましょう。神の愛を映すために、今日、小さなことでも何ができるでしょう。
天の父よ、親のいない子をあわれんでください。今日、あなたの手足となれるように助けてください。