両手いっぱいに荷物を抱えた男性が、20メートルほど先を歩いていましたが、つまずいて転び、荷物が散乱しました。周りの人が助け起こし、物も拾ってあげ、彼は歩き出しましたが、後ろにいた私は、財布が落ちていることに気付きました。そして、それを拾って追いかけました。「すみません!すみません!」と呼び続け、ようやくその人が振り返ると、私は追い付き、財布を渡しました。その時の彼の驚きと安堵(あんど)、感謝の入り混じった表情を、何年も経った今でも鮮明に覚えています。
その人を追いかけたことで、思いがけない洞察を得ました。有名な詩篇23篇6節は「いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう」(詩23:6)と語ります。この「追って来る」は、単に後からやって来るという意味ではありません。この単語のヘブル語には、獲物を追いかける猛獣をイメージする、力強い、攻撃的とさえ言えるような意味が込められています。
神のいつくしみと恵みは、ペットが家の中で主人の後ろを付いていくような、のんきなものではありません。神は私たちを「まことに」(6節)、つまり、本気で追跡されます。そこには目的があります。良き羊飼いは、永遠の愛で私たちを愛するために、私が財布を届けるために走ったように、私たちを追いかけてくださいます。
あなたは神のいつくしみが自分を追跡していると信じますか。聖書に「まことに」と書いてあるのに、もし信じ切れないなら、その理由は何でしょう。
神よ、良き羊飼いよ、主のいつくしみと恵みが、常に私を追って来ることを感謝します。