アメリカ人牧師が西アフリカの小さな町の教会に到着しました。礼拝開始の午前10時はもうすぐなのに、中は空っぽです。待っていると、遠くから歩いて来たこの教会の牧師がようやく到着した12時半頃に、聖歌隊のメンバーやフレンドリーな町の人々が続々集まってきました。しばらくすると、機が熟して礼拝が始まりました。そのアメリカ人牧師は、現地の文化には背景や理由があることを理解し、「神に遅延はありません。聖霊が皆を歓迎してくださいました」と述べました。

何が良いタイミングかは人によってさまざまですが、神のタイミングは完璧だと聖書は語ります。ラザロが病死してから4日後にイエスは到着されました。ラザロの姉妹は「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」(ヨハ11:21)と悔やみました。私たちも同じです。なぜ、神はもっと早く介入されないのかと思います。しかし、神の応えと御力を信仰によって待つのが賢明です。

神学者ハワード・サーマンは「父なる神よ。私たちは待ちます。あなたの御力が私たちの力に、御心が私たちの心に、あなたの赦(ゆる)しが、私たちの赦しとなるまで。ああ、神よ。私たちは待ちます」と語りました。そうするなら、ラザロの時のように、結局のところ、神に遅延なしという奇跡的な祝福を頂きます。