少年時代、「みんながどうかは分かった。でも、うちはね……」と、母によく言われました。日々の同調圧力に迎合しないことを教えたのです。大人になっても、周りに流されがちなことには変わりません。例えば、「前向きないい人とだけ付き合えばよい」と、最近は言われますが、「イエス様もそうするかしら」と、まず問うべきでしょう。
イエスは、マタイの福音書5章で「しかし、わたしはあなたがたに言います……」と何度も言われました。主は、世間の風潮を十分にご存じですが、私たちに望まれているのは、それに流されないことです。イエスは「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(44節)と言われましたが、それは誰のことでしょう。使徒パウロが「敵」(ロマ5:10)と言い表したのは、私たちです。言行不一致の人が自分に従えと言っているのではありません。イエスは、敵である私たちを愛し、ご自身のいのちをささげられたのです。
イエスが善良な人だけを招かれたなら、私たちは含まれません。神がえこひいきをされなかったことに感謝しましょう。世を愛された神は(ヨハ3:16)、私たちを強め、神に倣うように召しておられます。
自分自身が善良な人ではなかったときに、愛の手を差し伸べてもらったことがありますか。「敵」に今、愛を示せる具体的な方法は何でしょう。
天の父よ。私を好きな人だけに囲まれて暮らしたいです。しかし、それはみこころではありません。どうか、敵さえも愛せるように助けてください。