美しい祈りの本『あらゆる瞬間が神聖』には、料理や洗濯などの平凡な仕事に関する祈りが収められています。作家G.K.チェスタトンの言葉を思い出しました。「あなたは食前の祈りをします。それは良いことです。しかし、私はスケッチをしたり、絵を描いたり、泳いだり、フェンシングやボクシングをしたり、散歩したり、遊んだり、踊ったりする前にも祈ります。そして、ペンをインクに浸す前にも、もちろん祈ります」
この助言はものの見方を正します。例えば、食前に聖書のみことばを読むのは神聖で価値あるもの、食後の皿洗いは、それほど神聖さも価値もないもの、と分ける傾向があります。しかし、使徒パウロは、イエスのために生きることを選んだコロサイの人々に、その種の区分けをせず、「ことばであれ行いであれ、何かをするときには、……すべてを主イエスの名において行いなさい」(3:17)と命じました。主イエスの御名において行うとは、まず「イエスが褒めたたえられるように」という動機ですること。そして、イエスの聖霊がそれを貫徹させる力を下さるという確信を持つことです。
どんなことにも、平凡な行為にも聖霊は力を下さいます。そしてイエスに誉れを帰するようにそれを行うことができます。
雑事に関する見方をどのように変えることができますか。しなければならないことで、どのように聖霊を頼りますか。