トンガの10代の生徒たちが、1965年6月、島から脱出しようと海に出ました。しかし、初日の夜に嵐に遭い、船のマストもかじも折れました。水も食料も無く漂流し、無人のアタ島に漂着しました。

少年たちは協力して生き延びました。食物を育て、木の幹をくりぬいて雨水をため、運動用の器具まで作りました。1人が崖から落ちて脚を骨折した時は、他の少年たちが棒などで添え木をしました。口論しても和解は必須。賛美と祈りで一日を始め、また、終えました。彼らが救出されたのは1年3か月後です。無事生還すると、家族は驚きました。すでに死んだものと思って葬儀を済ませていたのです。

1世紀のキリスト者は孤独だったでしょう。信仰が理由で迫害され、家族に縁を切られて居場所を失い、さすらい人のようだったかもしれません。使徒ペテロはそのような人に向けて、自分を律して祈りに専念しなさいと励ましました(Ⅰペテ4:7)。互いを愛し(8節)、自分のできることを精いっぱいして互いに協力しなさい。神は、強く、堅く、不動の者にしつつ試練をくぐり抜けさせてくれる、と述べました(5:10)。

試練の時には、「世に見捨てられた人の信仰」が必要です。私たちが、連帯して祈り行動するなら、神はそれを乗り越えさせてくださいます。