コロラド州のマーシャルで発生した州史上最悪の火災の後、ある団体が被災者の大切な物を探し出す活動をしました。しかし、被災者たちの願いもむなしく、ほとんど何も見つかりませんでした。ある男性は静かに結婚指輪の話をしました。2階の寝室の鏡台の上に置いたそうです。家は焼失し、中の物は焼けるか溶けるかして、地下室のあった辺りでがれきになっています。寝室があった辺りを捜索班が探しましたが、成果はありませんでした。
預言者イザヤは、やがて明らかになるエルサレムの滅びを悼み悲しんで記しました。私たちにも、築き上げた人生が灰じんに帰したと感じるときがあります。心にも霊にも、もう何も残っていないと感じます。しかし、イザヤは希望を語ります。「心の傷ついた者を癒やすため、主は……わたしを遣わされた。……すべての嘆き悲しむ者を慰めるために」と(イザ61:1-2)。神は「灰の代わりに頭の飾りを……着けさせる」(3節)と述べ、悲劇を栄光に変える、「昔の廃墟を建て直し、かつての荒れ跡を復興」すると約束されました(4節)。
あの焼失した家の反対側でも捜索は行われていました。そしてその灰の中からケースに入ったままの男性の結婚指輪が見つかったのです。
神はあなたの絶望の中の灰に御手を伸ばし、真に尊いものを引き出されます。それはあなた自身です。
何もかも失ったと感じたのは、どんなときでしたか。神は困難からどのように救い出してくださいましたか。
神よ、どうか私の灰を頭の飾りに変えてください。