大学バスケットボールのスター選手が、試合後、会場の従業員と一緒にゴミを拾っていました。ファンがその動画を投稿すると8万人以上が視聴し、「最も謙虚な人の一人」という賞賛もありました。彼は当然、仲間と一緒に帰り、自分たちの成果を祝うことができました。にもかかわらず、誰にも顧みられない役目を自ら進んで担いました。

最も謙虚なお方はイエスです。イエスは天国の高い地位を捨てて地上に下り、しもべとなられました(ピリ2:7)。そうする義務はなかったのに、進んでへりくだられたのです。キリストの地上の働きは、全ての人を教え、癒やし、愛し、そして彼らを救うために死んでよみがえることでした。

キリストの模範は、私たちを促し、家事の手伝いやゴミ拾いといった謙遜な行いをさせるかもしれません。しかし、それが最も大きな影響力を持つのは、謙遜な行動が謙遜な心を作ったときでしょう。本当の謙遜は品性です。目に見える行動だけでなく、何が大切かという価値観も変えてしまいます。自分よりも相手の価値を尊ぶように動機付けてくれるのです(3節)。

文筆家であり牧師のアンドリュー・マーレーは「謙遜はきよさの花であり美しさである」と語りました。どうか、キリストの思いを抱くことで、聖霊の力によって、この美しさを表していけますように(2-5節)。