ダミアン牧師は、2人の終末期の患者を訪問する予定でした。1人は愛する家族に囲まれていました。損得勘定なく地域に仕え、人々に敬愛されていました。キリスト者の友人・知人も病室を訪ね、そこには賛美と祈り、希望が満ちていました。もう1人は教会員の親戚でした。かたくなな態度で荒れた人生を送り、愚かな判断や行動によって、家族に自堕落な生活をさせていました。それぞれの人生を選んだ2人の病室の雰囲気は、その選択を反映していました。

人生の方向性に無頓着な人は、不快で孤独な場所にたどり着き、そこから抜け出せなくなります。箴言は「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある」(箴14:12)と語ります。年齢や健康状態、財産の有る無しにかかわらず、どんな人も自分の歩みを見つめるのに遅すぎることはありません。あなたの道はどこに向かっていますか。それは、神の御名がたたえられる道ですか。人を助けますか、それとも人をおとしめますか。キリスト者としてふさわしい道ですか。

日々の選択は重大な問題です。神の御子は「わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタ11:28)と言われました。その御子を信じるなら、神は最善の道を選べるように助けてくださいます。