Month: 5月 2024

お父さんたちへの福音

あなたがたは地上で、だれかを自分たちの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただ一人、天におられる父だけです。マタイ23:9
映画『そして父になる』で福山雅治さんの演じる父親は子どもへの要求が高く、笑顔ではあるけれどとても冷たい存在です。彼は両親の離婚に傷つき痛みを抱えていました。子ども時代に傷ついた経験を持つが故に、尊敬される立派な親になろうとして結局、自分の子どもを苦しめていました。

聖書の世界では、「父」という言葉は血縁や親戚関係を示すだけでなく「真の尊敬に値する人」という意味があるようです。エリシャはエリヤを、ナアマンの従者はナアマンを「父」と呼んでいます(Ⅱ列2:12、5:13)。そのような背景の下、イエスは「地上の者を『父』と呼んではならない」と言われました。

「真の尊敬に値する父は天の父ただ一人だけだ」というのは福音です。「完璧な親にならなければ」というプレッシャーと「完璧な親に育ててもらえなかった」という不足感から私たちを解放します。私たちも、私たちの親も完璧ではありません。どちらも不完全で、傷や葛藤を抱えています。私たちは、互いの重荷を負い合いつつ(ガラ6:2)真の父を見上げる兄弟、兄妹なのです。

概して父親は弱音を吐いたり悩みを打ち明けることが苦手です。ですからあなたのお父さんに等身大で付き合える友が与えられるようにと祈ってみてはどうでしょう。また父親の弱さや欠けに寛容を示しつつ、共に「天の父」を慕い求める家庭を築くことができるようにも祈りましょう。自分の父親だけでなく、地域や教会のお父さんたちのためにも祈りましょう。

○まことの父よ。地上の父に期待しすぎることから私を解放し、等身大の父を受け止め、敬い、愛せるように助けてください。地上の父のために祈ります。家族のためのスーパーマンにならなくても、天の父が助けてくださることを心から信じることができますように。

寄稿者:山田風音

私たちの「アバ、父」


みなしごの父 やもめのためのさばき人は 聖なる住まいにおられる神。詩篇68:5
愉快な父の日のカードがありました。筋肉隆々のお父さんが片手で芝刈り機を押し、もう片手で3歳ぐらいの娘の乗った子ども用のカートを手慣れた様子で引っぱっています。女の子は芝刈り機の騒音もお構いなく楽しそうです。こんな二刀流は少々危険かもしれませんが、これを描いた人は、父親だって仕事と子育てを両立できると言いたいのです。

良い父親に恵まれた人なら、これを見て素敵な思い出がよみがえるかもしれません。しかし多くの人にとって、父親は複雑な存在です。実質的に不在だったり、裏切られたり、傷つけられたりした人はどうしたらよいのでしょう。

ダビデ王は欠点ある父親でしたが、神は親のようなお方だと理解していました。「みなしごの父 やもめのためのさばき人は 聖なる住まいにおられる神」(詩68:5)と語り、孤独な者を家族の中に住まわせてくださると述べました(6節)。

使徒パウロはさらにこう書いています。「子とする御霊を受け……この御霊によって、私たちは『アバ、父』と呼びます」(ロマ8:15)。「アバ」は、小さい子どもが父親を呼ぶときに用いるアラム語です。イエスが裏切られる夜、苦もんしつつ天の父を呼んだのもこの言葉でした(マコ14:36)。

イエスと同じ言葉で神を父と呼べるとは、何という特権でしょう。私たちの「アバ、父」は、ご自分のところに来る人を皆、喜んで受け入れ、神の家族にしてくださいます。

○あなたにとって父親とはどんな存在ですか。

○天のお父さま、あなたの家族に迎え入れてくださり、イエスと同じようにあなたを「アバ、父」と呼べることを感謝します。

寄稿者:Tim Gustafson

惜しみない父の祝福


私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。Ⅰヨハネ3:1
最近、父親と良い関係を持てなかった教会の人たちから、父親を代弁して彼らを祝福して欲しいと頼まれました。優しく温かく接することができなかったり、過剰な期待を押し付けたりして傷つけてしまったことを子どもたちに謝罪し、喜びと称賛、豊かな愛を宣言するのです。そのように彼らを祝福しながら、私は涙が出ました。自分自身にも未だにそのような父からの祝福が必要であり、私の子どもたちも同様だと気付きました。

聖書は、神が父だと繰り返し語り、私たちの歪んだ父親像を正してくれます。永遠の父なる神は、私たちに完全な愛を惜しみなく与え、神の子どもにしてくださいました(Ⅰヨハ3:1)。神の子どもとしてのアイデンティティは、不確実で恐れに満ちたこの世界で生きるための土台です。ヨハネは、「やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません」が「私たちは……神の子ども」だと語っています(2節)。問題が続いても、父なる神の愛と備えが途絶えることはないと信頼しましょう。すべてが成就するとき、私たちはキリストに似た者になると、神はヨハネを通して語っておられます(2節)。

不安や痛み、そして失敗のただ中で、良き父なる神は尽きることのない愛をもって祝福を宣言してくださいます。私たちは神の子どもであり、ご自身に属するものだと確言してくださいます。

○父という言葉から、何を連想しますか。神の惜しみない愛は、あなたが持っている父親像をどのように変えてくれますか。

○神よ、あなたがどんな父であるか、もっとよく教えて下さい。あなたの心遣いを経験し、知ることができますように。

寄稿者:Winn Collier

衝撃的な近しさ


あなたがたは……子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。ローマ8:15
ケネディー大統領がホワイトハウスの執務室で閣僚たちと世界情勢について議論しているそばで、2歳になる彼の息子ジョン・ジョンが大きな机の下をハイハイしている写真があります。ホワイトハウスの格式や重々しい雰囲気などどこ吹く風……。彼はただ、自分の父親に会いに来ているのですから。衝撃的な「親しさ」です。

イエスは「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります」と言われましたが(マコ14:36)、「アバ」とは神に「パパ」と呼びかける衝撃的な親しさです。神は全世界の主権者なるお方ですが、私たちは唯一の御子のおかげで、子煩悩な父親に近づくぐらい親しく、このお方に近づくことができます。さらに使徒パウロは、私たちがどう祈ったらよいか分からないとき「御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです」と語ります(ロマ8:26)。神の御霊が私たちの内に住んでくださるほどに、神は私たちと近しいのです。

完全で聖なる神は、貧しいやもめ、ローマの百人隊長、みじめな取税人、十字架上の強盗など、心の底から求めるなら誰にでも喜んで応えてくださいます。イエスがそれを示してくださいました。私たちは「アバ、父よ」とだけ叫べばよいのです。それさえ無理なら、うめき声をあげるだけでよいのです。神はそれほど近くにおられます。

○あなたは天の父との衝撃的な近しさを体験したことはありますか。

○アバ、父よ。私のことばにならないうめきを聞き取ってくださるほどに近くにいてくださることを感謝します。

寄稿者:Philip Yancey

不完全な父を敬う

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じたとおりに。申命記5:16
創世記を読むたびに私の心が震えるのはアブラハムの葬儀の場面です。彼を葬ったのは約束の子イサクだけではありません。アブラハムとサラの不信仰から生まれ、母ハガルと家を追い出されたイシュマエルも一緒でした(創25:9)。アブラハムはイスラエル民族の始祖であり「信仰の父」とも呼ばれていますが、2人の息子はこの父が決して完璧ではないことを身をもって知っていました。自分たちの生涯は父の不完全さによって大きく揺るがされたのです。しかし彼らは2人並んで父を葬りました。この場面に父と子との葛藤や和解、そして関係の癒やしが垣間見えます。

実は聖書は不完全な父親だらけです。預言者として評価の高いエリやサムエルも、父親としては目も当てられません。ダビデも息子アブサロムとの確執を放置した結果、王室がめちゃくちゃになりました。聖書は父親を理想化も美化もしません。その聖書が「父と母を敬え」と語るとき、完璧で絶対的な存在として敬えなどと言っていないことは明らかです。むしろ主は現実の親子関係がいかに難しいかよく理解しておられ、その上で命じておられます。

父の日間近ですが「父の敬い方マニュアル」はありません。ある人にとってはハグしたり、言葉で感謝を伝えることかもしれません。あるいは、久しぶりに電話することかもしれません。父を赦す、いや、その存在を思い出すだけでも大きな一歩、という人もいるでしょう。主はそれぞれの敬い方を受け止め、祝福して下さいます。

○「理想ではない父は敬えない」という思いはありませんか。あなたにとって「父を敬う」行動はどんな形でしょうか。

○天のお父さん、あなたの命令に心から喜んで従うことができるよう私の心を柔らかくしてください。そして私と父との関係を祝福してください。

寄稿者:山田風音

あわれみの示し方

教会役員のハロルドと妻のパムの家に招かれ、嬉しくも不安でした。聖書に反することも教える大学の聖書研究会に行ったからです。叱られるのかしらと思いました。

心を映す言葉

どうすれば悪口雑言を避けられるでしょう。ある高校では生徒たちに「人をおとしめるようなことを学校で言いません」と宣誓させました。その努力は評価すべきですが、イエスによれば、どんな規則も宣誓も悪口雑言を規制できません。

年長者の提言

ジョージ・サンダースは、米国のベストセラー作家です。2013年のシラキュース大学卒業式の祝辞で「私が後悔していることは?」という問いに答えるかたちで語りました。年配の人が己の後悔を若い卒業生に分かち合うことで、そこから何かを学んでもらおうというのです。彼は、まずありがちな話、例えば貧しかったことやひどい労働環境で働いたことなどを挙げましたが、それらについては大して後悔していないと述べました。彼の後悔は、親切を怠ったこと。親切にすべきだった時にできなかったことだと語りました。

湧き起こる賛美

エチオピアに短期宣教旅行に出掛け、現地の伝道団体に合流した時のことです。苦境に陥りごみ集積場に小屋を建てて暮らす若者たちに福音を伝えに行きました。彼らと出会えて感謝です。私たちは主の御業を語り合い、励まし合い、共に祈りました。月の光のもとで、現地の青年の奏でるギターに合わせて、皆で賛美をしました。それは心震える聖なる体験でした。目下の状況は絶望的ですが、彼らは希望も喜びも失っていません。それをイエスの内に見いだすからです。