イザヤは少年野球の地区大会で頭部にデッドボールを受けました。地面に倒れ頭を抱えていましたが、ヘルメットのおかげで幸い大事には至りませんでした。試合再開。しかし、相手チームの投手が危険行為をしてしまったことに動揺しているのは明らかでした。イザヤは、それに気付くと、素晴らしい行動をし、その映像は瞬く間にネット上に拡散されました。彼は投手に向かって歩いていくと「大丈夫」というように、彼をハグしました。けんかになりかねない状況で、イザヤは思いやりを選択しました。

旧約聖書を読むと、エサウが、これ以上に難しい選択をしたことが分かります。自分をだました双子の弟ヤコブに対して抱いていた長年の報復計画を捨てたのです。ヤコブは、20年間の逃亡生活を経て故郷に戻って来ました。エサウは、自分をあざむいた弟を、復讐(ふくしゅう)ではなく思いやりと赦(ゆる)しで迎えることを選択しました。聖書は、ヤコブを見ると「エサウは迎えに走って来て、彼を抱きしめ」たと語ります(創33:4)。エサウはヤコブの謝罪を受け入れ「大丈夫」と語りました(9-11節)。

自分を傷つけた人が真摯(しんし)に反省したとき、私たちには選択があります。相手を思いやることは、イエスの模範に倣うことであり(ロマ5:8)、和解に向かう道です。