デイビッドは弟ジョンの名門大学教授就任をもちろん喜びました。しかし、兄の常として弟をからかわずにはいられません。どんなに成功しても、ジョンは彼にとってちっちゃな弟なのです。
家族に敬われるのは至難の業、救い主でもそうでした。イエスを幼少期から知っていたナザレの人たちは、このお方が特別だとは信じられませんでした。しかし、主の奇跡には驚き「このような力あるわざは、いったい何なのだろう。この人は大工ではないか。マリアの子……ではないか」(マコ6:2-3)といぶかりました。イエスは「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです」(4節)と言われました。彼らはイエスをよく知っていたはずなのに、神の御子だと信じられなかったのです。
クリスチャンホームで育った人は、物心つく前から教会に通い、賛美歌を歌い、イエスを身近に感じてきたでしょう。そして主を信じ、主に従い、神の家族となったなら、イエスはその家の長子です(ロマ8:29)。聖書は「イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせず」(ヘブ2:11)と語ります。これは素晴らしい特権ですが、親しさのせいで勘違いも起こります。家族だからといって、イエスが特別でないことはありません。
イエスが家族であり、それ以上のお方だということを嬉しく思いませんか。今日もイエスに従い、もっと身近で、もっと特別な存在になっていただきましょう。
イエスが個人的に親しいお方になった経緯を語れますか。あなたにとってイエスが特別なお方であり続けるために何をしますか。