コリントの信徒への手紙一 15:29-58
29そうでなければ、死者のために洗礼を受ける人たちは、何をしようとするのか。死者が決して復活しないのなら、なぜ死者のために洗礼など受けるのですか。 30また、なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。 31兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。 32単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。もし、死者が復活しないとしたら、
「食べたり飲んだりしようではないか。
どうせ明日は死ぬ身ではないか」
ということになります。 33思い違いをしてはいけない。
「悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする」
のです。 34正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。神について何も知らない人がいるからです。わたしがこう言うのは、あなたがたを恥じ入らせるためです。
復活の体
35しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。 36愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。 37あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。 38神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。 39どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。 40また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。 41太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。
42死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、 43蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。 44つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。 45「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。 46最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。 47最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。 48土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。 49わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。
50兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。 51わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。 52最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。 53この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。 54この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。
55死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
56死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 57わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。 58わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。