ブラッドは引っ越した町で見つけた教会の礼拝に何度か出席した後、どんなことでもよいから奉仕したいと牧師に伝えました。そして、礼拝のために椅子を並べたり、トイレ掃除をしたりしましたが、やがて、彼の賜物が発覚しました。それは聖書を教えることでした。それなのに、何でも喜んでやったのです。

イエスは、二人の弟子ヤコブとヨハネ、そして、彼らの母親に奉仕の精神を教えられました。彼女は、御国では息子二人を主の両側の栄誉ある場所に座らせてくださいと願いました(マタ20:20-21)。これを聞くと、他の弟子たちは憤慨しました。彼らもその地位が欲しかったのでしょう。しかし、イエスは「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい」(26節)と言われ、権力を振るうのはキリストの弟子の生き方ではないと教えられ(25-26節)、仕えることの意義を強調されました。

地域社会や教会で何かをしてキリストに仕えることを、ブラッドは「箒(ほうき)に手を伸ばす」と表現しました。彼は、自分の生きがいは「神の栄光のため、世界をより良い場所にするため、そして自分の喜びのために仕えること」だと語ります。さて、あなたや私にとって、神の導きに沿って「箒に手を伸ばす」とは、どういうことでしょう。