牧師が着る詰め襟の服を着ていると、空港などで、「祈ってほしい」と言われることがよくある、とティモシー牧師は言います。なぜでしょう。それは神が慈しみ深いからです。
預言者エレミヤは、罪ゆえに捕囚となった愛する民に向けて預言しました。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(29:11)。「あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」(12-14節)。神はこう約束されます。「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる」(33:3)と。
イエスも言われます。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」(マタ6:8)。ですから「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(7:7)。私たちは祈るたびに、神に近づきます。神は私たちをよくご存じで、私たちの呼ぶ声を待っておられます。心配事は、今すぐ神の元に持ち込みましょう。
あなたはどれくらい頻繁に祈りますか。今日は、神に何を話しますか。
愛する神よ、誰よりも私を知り、私を守ってくださるお方。その事実に感動して私は祈ります。その祈りに応答してくださり感謝します。