こんな民話があります。毎日、長いさおの一方には新しく丈夫なおけ、もう片方には古いひびの入ったおけをかけて、川に水くみに行く女の人がいました。家に帰ると、新しいおけは水でいっぱいなのに、古いおけは、ほとんど空でした。古いおけは、申し訳ないと謝りました。彼女は振り返り、通ってきた道を指さして言いました。「古いおけさん、見てごらん。あなたが通った道にはたくさん花が咲いている。あなたが水をあげて花の小道を作るから、この水くみ仕事も苦にはならないわ」

私たちは若さを称賛する世界に生きています。若くて健康で丈夫な人、タイパやコスパがよいサービス。しかし、聖書は、若くなくても、強くなくても、たとえ水の漏れるバケツのようであっても、義を失わない人の美しさをたたえています。詩編の作者は「神に従う人はなつめやしのように茂り レバノンの杉のようにそびえます」と語ります(詩92:13)。

年をとっているから賢明だとは限りません。しかし、年齢が人生に資することもあります。少しだけ長く生き、少々多く経験し、多少深く根を張って、信仰を深め、神を信頼することを知っている。そういう人は、高齢になってもなお実を結び、いきいきとしています(15節)。

あなたの周りにも、美しい実を結んだ高齢者がおられるでしょう。その人たちに目を向けて、大切にするように心掛けましょう。