キムはパパが来るのをワクワクして待ちました。しかし、夕方になり、夜になると、その期待はしぼみました。また裏切られたのです。両親の離婚後、キムは別居の父と過ごす日を楽しみにしていました。それなのに「パパにとって、私は大切じゃない」と思うことが度々起こるのです。

親も含めて人に失望させられることがあります。キムはその後、救い主イエスを知り、失望させられることのない天の父を知りました。私たちも同じです。

ヨハネが記した3通の手紙は、霊感による聖書の書簡です。彼の名を冠した福音書と黙示録もあります。ヨハネは神の愛を深く理解し、自分を「イエスの愛しておられた弟子」(ヨハ21:20)と呼びました。主の愛によって人生が変えられたと自認していました。そして「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです」(Ⅰヨハ3:1)と述べました。

神は私たちを深く愛し、私たちのために御子イエスの命を犠牲にされました(16節、ヨハ3:16)。私たちが祈るとき、神は常にそこにおられます。「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」(ヘブ13:5)と約束しておられます。ですから主の愛を信じて大丈夫です。