アイザック・ワッツの讃美歌『栄えの主イエス』の歌詞に、「世の富 誉れは 塵(ちり)にぞ等しき」という逆説的表現があります。これはオクシモロン(矛盾語法)という修辞技法で「恐ろしく美しい」とか「公然の秘密」のように、矛盾する単語で他方を修飾するものです。ワッツは、この技巧を用いて深い真理を表現しました。

イエスもまた、しばしば逆説を用いられました。「心の貧しい人々は、幸いである」(マタ5:3)と言われ、望みのない人が、望み得る以上のものを受けることを示唆されました。私たちが大切な人を失って悲しんでいるとき、イエスは「慰められる」(4節)と言われます。キリストは、神の国が人の世の一般的な規範に必ずしも一致しないことを示されました。

これらの逆説は、キリストに生きるなら全ての当たり前は覆ると教えています。取るに足らない私たちが、地位のある人のように大切にされます。イエスは茨(いばら)の冠をかぶせられ十字架につけられましたが、これも視覚的な逆説です。ワッツは、「恵みと悲しみ一つに溶け合い 茨はまばゆき冠(かむり)と輝く」と、このあざけりの象徴を取り上げて、美しく荘厳な言葉を紡ぎました。私たちは心を震わせて、最後の一節を胸に刻みます。「ああ 主の恵みに 応うる道なし わが身のすべてを 主の前に献(ささ)ぐ」と。