近代メジャーリーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンは、1947年5月9日、フィラデルフィアのシャイブパークで行われた試合に出場し、10歳の少女ドリスは父親と2階スタンドで観戦しました。ドリスの父親は、高齢の黒人男性が隣の席に座ると、笑顔であいさつしました。試合について語る二人のそばで、ドリスは大人になった気分でした。「あの人の笑顔は忘れられない」と語ります。そこには、白人少女ドリスと奴隷の息子だった黒人男性が語り合うほほ笑ましい光景がありました。

しかし、対照的なひどい光景もあります。ロビンソンは、同じシーズンの別の試合で、人種ゆえの醜いヤジを浴びました。それは非常に悪意あるものだったそうです。

悪意ある言動は、スポーツ観戦の場に限りません。家庭、職場、地域社会、また教会でさえも、醜い言動は起こり得ます。しかし、神は御子を通してよくしてくださったのですから、この神を信じる人は、神に倣った態度や行動が求められています(テト3:4)。使徒ペトロは「皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐(あわ)れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません」(Ⅰペト3:8-9)と記しました。神によくしていただいた人が、聖霊に助けられ、人に善意を示すとき、主にある慈しみが勝利をおさめます。