運転手が突然失神し、60人の生徒を乗せたスクールバスが暴走し始めました。7年生のディロンが、運転席に走って行き、ブレーキを上手に踏んだおかげで大惨事を免れました。他の生徒がスマホに没頭する中、スマホを持たない彼だけが、頭を上げて運転手を見ていました。ブレーキの踏み方を知っていたのは、運転手の動作を何十回も見ていたからです。彼の集中力と迅速な行動が、生徒たちと運転手の命を救いました。
モーセという「運転手」を失い、ヨシュアは勇気を出して指導者の務めを果たさなければなりませんでした。神は「わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたは……行きなさい」(ヨシ1:2)と言われました。「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない」(7節)。心を惑わさずに集中して、神の命令に「昼も夜も」(8節)思いを巡らすよう指示されました。
私たちはスマホやネット情報などを追いかけて、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く神の知恵(Ⅱテモ3:16-17)を軽視してしまいがちです。一方、注意を怠らずに「イエスを見つめ」(ヘブ12:2)ていれば、神の御声に、すぐ気付き、動くことができます。
キリストを見つめ続けることが大切な理由は何ですか。神の呼びかけに備えておくために、今、何をしますか。