教会の修養会が近くのキャンプ場で行われた時、うちの息子が牧師のジェフを野外礼拝堂に連れていきました。そこにあったのは、私の夫が作り始めて息子が仕上げた「契約の箱」の実物大のレプリカでした。それは実のところ、ジェフ牧師がずいぶん前に、夫に制作を勧めたものです。
牧師は大喜びで、男性たちに声を掛け、一緒に食堂に運んでいきました。大人たちが「契約の箱」を担ぎ、その後を牧師の小さな孫2人が手をつないで歩いていく光景は、なかなかのものでした。
本物の契約の箱は、神が御民と共におられることを象徴します。聖書には、それが一時的に保管されていた家から「ダビデの町」、すなわち、エルサレムの然るべき場所に運ばれたお祝いの日の様子が記されています(サム下6:12)。ダビデ王は大喜びでした。民が叫び、ラッパが鳴り響く中、彼は「主の御前で……力のかぎり」踊りました(14-15節)。
その後、神の民はバビロンの捕囚となり、エルサレムは破壊されました(列下25章)。その時、契約の箱がどうなったか聖書は何も語りません。さまざまな伝説はあるものの、神の臨在を現す契約の箱は、もはや不要なのです(ヨハ14:16-17)。イエスの死と復活、そして聖霊降臨によって、神がイエスを信じる全ての人と共におられることは明らかだからです。何と喜ばしいことでしょう。
神が自分と共におられると知って、あなたは、どんな影響を受けましたか。あなたが神のご臨在を感じたのは、どんなときですか。