父は母に一目ぼれしました。そして、彼女に会うために呼ばれてもいないパーティーに押しかけたり、自分でパーティーを開いたりしました。やっとデートにこぎつけると宝物の愛車でドライブしました。こうして二人は恋人になりましたが、一つ問題がありました。母は宣教師としてペルーに行くところだったのです。父は彼女を車で空港まで送り、その5カ月後、自身もペルーに行き、求婚しました。しかし、最高なのは裏話です。父は渡航費用のために愛車を売ったのです。

マルタとラザロの姉妹にマリアという女性がいました。彼女の最も大切な宝物は「高価な……香油」(ヨハ12:3)だったでしょう。マリアは主のための食事の席で(2節)、その香油をイエスの足に惜しげもなく注いだのです。もし私たちがそこにいたなら、マリアにとって、主がいかに大切なお方だったかを即座に悟ったでしょう。

父が車を手放したことは、母にすれば、彼にとって自分がどれほど大切な存在かを表していました。一方、マリアの行動には、それに加えて、秘められた深淵な意味もありました。イエスの葬りの準備です(7節)。

マリアのように、唯一無二の宝物を神に差し出すなら、それは主の尊い犠牲の反映です。私たちは、その時、神のあがないの御業に参加しているのです。