ヒポクラテス(紀元前460~375年頃)は、医学を迷信の闇から科学的分析の光に導き出しました。しかし、患者の人間性を尊重し、 「その病気を持つ人を知ることが、その人が持つ病気を知ること以上に重要だ」と語りました。
使徒パウロは、「異邦人の間にもないほどのみだらな行い」(Ⅰコリ5:1)をした人も含めて、各々の教会員の人間性を尊重しました。罪の行為を厳しく処罰する手紙を書く一方で(Ⅰコリ5:3-5)、その人が悔い改めると、関係者全員を温かく包む別の手紙を送りました。その人の罪は「あなたがたすべてをある程度悲しませた」(Ⅱコリ2:5)とあるように、教会に悪影響を及ぼしました。しかし、悔い改めた人を「愛するように」(8節)と促しています。
彼は処罰の動機も記しています。「悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした」(4節)。パウロは、彼らを愛していたのです。
罪は全員に悪影響を与えます。不義が行われたなら、回復は容易ではありません。しかし、神はその努力を私たちに求められます。人の罪には背景があります。まず人を知りましょう。そして、神の力によって、その人を愛しましょう。
パウロはコリント教会をむしばんだ罪をどう扱いましたか。罪を犯している人を愛することと、「人を裁いてはいけない」と罪を不問にすることとは、どう違いますか。

