以前、腕を骨折した時、思いがけず、友人のレックスから冷凍スープの詰め合わせが送られてきました。美しい銀のレードルも一緒に。腕が治り、レックスが帰天した今も、彼の配慮を思い出します。これを使うたびに、神の愛が、人の温かい行為を通して示されたことに感謝します。
イエスは、ご自分の至高の愛を忘れさせないように、形ある贈り物を下さいました。それが主の晩餐(ばんさん)です(ルカ22:19)。使徒パウロは、コリント教会の人たちに、そのことを指摘しました。「主イエスは……パンを……裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、……『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました」(Ⅰコリ11:23-25)。キリスト者は、聖餐のパンと杯を取るたびに、神の溢れる愛を繰り返し思い出します。
レックスは、目に見える形で、私を思いやってくれました。このレードルは、そういう思い出の品です。イエスは、私たちの罪の贖(あがな)いとして十字架で死なれました。その愛は、私たちの人生を変えます。私たちは、聖餐という行為を通して、主の不変の愛を何度も思い起こします。
この前、聖餐式にあずかったのはいつですか。聖餐式を通して神の愛に思いをはせるとき、あなたにとって、その意義は何ですか。