最近、レンタカーを借り、混雑した繁華街の狭い道を、慎重に、いつもよりゆっくり走りました。事故はもちろん、車を傷つけたくはありません。私のものではないのですから。

通常、持っている方が、借りるよりずっとよいと感じます。しかし、借りるという経験は、信仰について大切なことを示唆していると思いました。

使徒パウロは、次のように語ります。「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい(Ⅰコリ6:19-20)。これは、買春という不品行を戒める文脈で書かれていますが、同時に、自分のものだと思っている自分の体さえ、実は、自分には属していないと教えています。

自分の体は自分のものではない、と完全に納得するのは難しいことです。それでも、神は、自分の体で神の栄光を現すよう命じられます。自分の体のケアや使い方を考えるとき、これは神から借用した器だと認識するなら、貸し主に対する責任を考えるでしょう。ご自分の体を、私たちのために傷つけ、血を流されたお方の誉れのために使いたいと思うでしょう。