どんな人の場合でも、早すぎる死は悲惨です。ジョーの場合もそうでした。彼は、夫、父親、コーチ、ユースリーダーでしたが、最近は誤った選択を繰り返し、揚げ句の果てに、家族を遺して逝ってしまいました。それで悪い点がクローズアップされがちでしたが、彼の娘は、自分の父親は、皆と同様、欠点はあったけれども、こうやって主に仕えてきたと具体的に述べ、追悼しました。

これはユダの王ヨシヤの話に似ています。エジプト王ネコがバビロンへ進軍した時、ヨシヤは愚かにも、これを迎え撃つために出陣しました(歴下35:20)。ネコは、ユダを攻めるつもりはないと使いをよこしたのに(21節)、彼は「神の口から出たネコの言葉」を無視し、落命しました(22-24節)。

ヨシヤは愚かな死を遂げましたが、預言者エレミヤは、ヨシヤを悼んで哀歌を作りました(25節)。また、「ヨシヤの他の事績および主の律法に忠実に従った行為の数々は、……『イスラエルとユダの列王の書』に記されてい」(26-27節)ます。死は早すぎましたが、「忠実な行為の数々」の記録は、時宜にかなった、彼を象徴する言葉でした。

「今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません」(ロマ8:1)という使徒パウロの言葉を思い巡らしましょう。父なる神は、キリストの内にいる私たちをご覧になります。それを踏まえるなら、信仰者としての忠実な行いを思い出して、亡き人をしのぶことがきっとできるでしょう。