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寄稿一覧 Ade Chandra

自然は真空を嫌う

1年で聖書を!
◆ 出エジプト記1-3
◆ マタイ14:1-21
聖書のみことば エペソ3:14-21

 
神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
―エペソ3:19

古代哲学者のアリストテレスによると、「自然は真空を嫌う」のだそうです。彼は観察に基づいて、自然が求めているのは、すべての空間が何かに埋められることで、その何かとは無色・無臭の空気であったりもする、と結論づけています。

畏れ、愛する

1年で聖書を!
◆ 創世記49-50
◆ マタイ13:31-58
聖書のみことば 申命記10:12-17

 
あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、……主を愛し、―申命記10:12

職場のふたりの上司について話していた人がいました。一方の上司は部下から好かれていますが、恐れられてはいません。みんなは彼を好いてはいますが、彼の指示に従いません。彼の権威に敬意を払っていないからです。もうひとりの上司は、部下に恐れられていますが、好かれてもいます。そして、みんなの従順は、そのことを示しています。

倒れる時

1年で聖書を!
◆ 創世記46-48
◆ マタイ13:1-30
聖書のみことば Ⅰコリント10:1-13

 
ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
―Ⅰコリント10:12

世の尊敬を集めていた著名人が、不祥事を起こすことが珍しくなくなりました。そんなことが度々起こるので、私たちはがっかりこそすれ、もはや驚いたりはしません。

開かれた本

1年で聖書を!
◆ 創世記43-45
◆ マタイ12:24-50
聖書のみことば エレミヤ書31:31-34

 
あなたがたが……キリストの手紙であり、―Ⅱコリント3:3

私は文筆家なので、知り合いに「いつか本を書いてみたい」と打ち明けられることがあります。私は「それは良い目標だ。期待しているよ」と応えますが、「でも本を書く以上にすばらしいことは、本になることだよ」とも言います。

闇の中を進む

1年で聖書を!
◆ 創世記41-42
◆ マタイ12:1-23
聖書のみことば詩篇119:105-112

 
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。―詩篇119:105

神が結末を教えてくださるのなら、どんなことでも乗り越えられるのに、と思います。私は、神が最後には「すべてのことを働かせて益としてくださる」(ロマ8:28)と信じています。けれども、その「益」を具体的に知っているなら、苦しいときをもっとうまくやり過ごせると思うのです。

子どもの潜在能力

1年で聖書を!
◆ 創世記39-40
◆ マタイ11
聖書のみことば 箴言22:1-6

 
若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。―箴言22:6

ルイ・アームストロングは、こぼれる笑顔やトレードマークの白いハンカチ、かすれ声やすばらしいトランペットの演奏でよく知られています。

アルカトラズ島の自由

1年で聖書を!
◆ 創世記36-38
◆ マタイ10:21-42
聖書のみことば ピレモン1:4-16

 
獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
―ピレモン1:10

サンフランシスコ湾のアルカトラズ島に、昔の連邦刑務所があります。ここを見物したときのことは忘れられません。フェリーが桟橋に着いたとき、なぜここが「ザ・ロック(岩)」と呼ばれていたのか一目でわかりました。決して逃げられないからです。それから、「ビッグ・ハウス」と呼ばれている有名な場所の中に入り、頑丈な鉄格子の窓からひと筋の光が差し込むのを見ました。鳥かごのような独房がずらっと並んでいました。あの有名なアル・カポネや、映画「終身犯」のロバート・ストラウドは、ここに収容されていたのです。

それは「良い」ですか?

1年で聖書を!
◆ 創世記33-35
◆ マタイ10:1-20

 
私はあなたの恵みに拠り頼みました。―詩篇13:5

ある状況を指して、それが良いのか悪いのか、本当にわかるでしょうか。例えば、家族旅行に出発しようとした日、車が故障してしまいました。修理工場に持って行くと、整備士が言いました。「出発する前で良かったですよ。出かけていたら、途中で火事になっていたかもしれません。」予定変更は面倒なので、これは「悪い」でしょうか。それとも、神の守りに感謝して「良い」としますか。

契約信仰

1年で聖書を!
◆ 創世記31-32
◆ マタイ9:18-38
聖書のみことばローマ8:28-39

 
神を愛する人々、……のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる―ローマ8:28

神に仕えている人は、暗黙の内に「契約信仰」に生きていることがあります。つまり、神に時間と労力をささげているので、見返りとして、特別な祝福を得る資格があると思うのです。
 

ところが、友人のダグラスは違いました。彼の人生は、色々な意味でヨブのようでした。牧会に失敗し、妻をがんで亡くし、飲酒運転の事故の巻き添えになって自分も息子も怪我をしました。しかし、彼は言います。「神と人生をごっちゃにしてはいけない。」