イエスが隠れている
友人が義理のお母さんの介護をしていたときのことです。一番して欲しいことは何かと尋ねると、足を洗ってもらうことだと言われました。友人は、それが嫌でたまりませんでした。そう頼まれるたびに腹が立って、その気持ちが見透かされないように祈ったそうです。
良い羊飼い
私たち夫婦は病院の一室で不安な気持ちで待っていました。幼い息子が目の手術を受けています。私は心配で胃がチクチク痛みました。主に「平安を与えてください」と祈ろうと思い、聖書を開くと、イザヤ書40章が心に浮かびました。そして、何か新しく心に響くことがあるかしらと思いながら、良く知っているそのみことばを読み始めました。
翼を広げて舞いかける
ベティーの娘は体調を崩して海外から帰国しました。ペティ―と夫は、あまりに辛そうな娘を見て、救急診療所に連れて行きました。治療が始まって数時間後、看護師のひとりが「大丈夫ですよ。元気になるまで私たちがついています。最善を尽くしますから。」と言ってくれました。ベティーは、心が平安と愛に包まれるのを感じました。彼女は娘の前でおろそろするだけでしたが、主は完全な親なので、ご自分の子どもたちの面倒を見て、苦しい時には慰めてくださることに気づきました。
テントで暮らす
故郷のミネソタ州は多くの美しい湖で知られ、私は神の造られた大自然の中でキャンプをするのが大好きでした。しかし、テントで寝るのは苦手でした。特に雨の夜、テントが雨漏りして寝袋が湿っぽくなるのは困ります。
手紙を書く
母と姉妹たちは、今でも手紙という旧式な方法で、毎週のように日常のあれこれと喜怒哀楽を分かち合っています。私はこの文通を素晴らしいと思います。また、信徒の人生はキリストの手紙だというパウロの言葉を深く噛みしめさせてくれます。
きれいにされる
食器洗い機を開けると、どうしたことでしょう。きれいなお皿ではなく、粉まみれの食器が並んでいます。水道に問題が発生したのでしょうか。それとも食器洗い機が壊れたのかしら。
収穫のために色づいている
夏の終りに英国のニューフォレストを散歩し、近くで馬がたわむれるのを見ながら野生のブラックベリー摘みを楽しみました。昔々、誰かが植えたであろう甘い実の味を堪能しながら「わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました」(ヨハ4:38)というイエスのみことばに思いを馳せました。
恐れではなく信仰を
夫に海外赴任の話が出たという友人が、「昇進だったけれど辞退してもらったの。私は今の家を離れたくないから」と言いました。しかし、変化を恐れたために新しい扉を開けず、逃してしまったものは何だったのだろうと時々考えるそうです。
何事にも時がある
飛行機の中で心暖まる光景を見ました。座席で遊ぶ幼い女の子の隣に赤ちゃんを抱いた母親がいて、赤ん坊に微笑んだり、頬をさわったりしていました。赤ちゃんは大きな目でじっと母を見つめます。私はわが子の幼かった頃を懐かしく思い出しました。