顔を合わせて
世界は今までにないほど情報機器でつながっていますが、実際に顔を合わせて話すに勝るものはありません。いっしょに時を過ごして笑い合ったりするなら、相手の表情からほとんど無意識に温かいものを感じます。家族にしろ、友だちにしろ、好きな人とは直接会いたいものです。
休息する日
ある日曜日、私はロンドン北部の住宅街を流れる川べりに立ち、水のせせらぎや鳥の鳴き声に耳を傾けていました。街中に住みながら、このような美しい光景を楽しみつつ、ゆっくりリラックスできるのは嬉しいことです。私は、たましいに休息とうるおいを与えてくださる主に、感謝の祈りをささげました。
行いを伴った信仰
友人が食料品を買いに行くと、車道の端を歩いている女性を見かけました。彼女は引き返して「乗りませんか」と声をかけるべきだと思い、それを実行したところ、大変感謝されました。その女性はバスに乗るお金がないので、蒸し暑い日に何キロも歩いて帰宅する途中だったのです。そればかりか、その日の朝、4時に職場に着くために何時間もかけて歩いたと言いました。
平和のきずな
考え方の違いをメールではっきり伝えたところ、相手から返事が来ません。私は立ち入り過ぎたのでしょうか。言い過ぎたのでしょうか。しつこく迫って、状況を悪化させたくありませんでしたが、この問題を解決しないまま、彼女が外国に行ってしまうのも良くないと思いました。このことが数日間、何度も頭をよぎり、彼女のために祈っては、神の導きを求めました。
完璧な平安
何年も平安と満足を求めてきたと友人は言いました。彼女は夫婦でビジネスを成功させ、大きな家、高価な宝石や服を手に入れ、影響力のある人たちと交友するようになりました。しかし、それらによって心の平安を得ることはありませんでした。そんなある日、心が塞いで絶望的になっていた彼女に、友だちがイエスの福音を伝えました。そして「平和の君」に出会ったのです。その日を境に、平安や満足についての考え方が全く変わったそうです。
神の礼服
我が家の子どもたちは2、3歳の頃、雨上がりの庭で泥まみれになって遊びました。私は家を汚さないように戸口で服を脱がせ、タオルをかぶせてお風呂に直行させると、彼らの汚れた身体をきれいに洗ってあげました。
助け主
実家を1600キロも離れた学校に入学が決まり、ひとりで飛行機に乗ったときは不安でした。しかし、聖霊が来て助けてくださるとイエスが約束されていたことを思い出しました。
イエスとともに住む
人は安心できる自分の居場所の存在を願い求めています。「我が家に勝るところはない」という言葉は、そういう気持ちの表れでしょう。イエスは、そういう場所について、最後の晩餐の折に語られました。主はご自分の死期が迫っていること、そしてよみがえりについて語られました。また、ご自分はこの世を一旦去った後、弟子たちのために天国に住まいを用意し、また戻ってくると約束されました。その場所こそ永遠の我が家です。
愛の代償
外国で暮らしている私たちの家にしばらく滞在して帰国の途につく両親に「さよなら」と手を振っていると、幼い娘が泣き出しました。「行かないで!」と泣く娘をなだめていると、夫は「可愛そうだけど、これは愛の代償だ」と言いました。