灼熱の太陽からの安堵
英国に住んでいると、日焼けを気にすることはめったにありません。太陽は大抵、厚い雲におおわれていますから。しかし最近スペインに行って、色白の私の肌は、強い日差しに10分と耐えられないと気づきました。私は慌てて、パラソルの下に逃げ込みました。
神のヤスリ
私の強い意見に対する友人の言葉が、グサッと突き刺さりました。その言葉が頭から離れず寝つけません。私は神の平安を求めましたが、数週間が経ってもモヤモヤしています。それで、「主よ、私は傷つきました。でも私が変わるべきところを示してください。彼女が正しいのはどこか、教えてください」と祈りました。その友人は、神のヤスリとして用いられたのです。私のプライドはこすられて傷つきましたが、ここでどう反応するかが、私の人格を良くも悪くも形成します。私は神に降参し、自分にはプライドが高く頑固なところがあると白状しました。そういう欠点は、神の栄光にならないと分かっていたのです。
踊りに変える
以前、勤めていた会社でリストラされたとき、とても動揺しました。編集者という仕事は、自分が自分であるために欠かせないと考えていたので、かなりショックでした。最近、フリーランスの仕事で、契約更新はないと言われました。とても悲しかったのですが、あの時のように土台を揺るがす激震にはなっていません。これまでの経験で、神が真実なお方で、私の悲しみを喜びに変えてくださると分かっているからです。
本当のコミュニケーション
ロンドン北部の街を歩くと、ポーランド語、日本語、ヒンディー語、クロアチア語、イタリア語など、様々な言語の会話を耳にします。この多様性は天国を垣間見るかのようですが、私には会話の内容は分かりません。ロシア風カフェやポーランド市場に行って異なる音やアクセントを聞くと、ペンテコステの日はさぞ素晴らしかっただろうと思います。外国から来た人たちが、弟子たちの言うことを自分の言葉で理解したのです。
新しい自分
自分のことを心配性だと言った人がいました。子どもが事故で怪我をしたとき、その性分を乗り越える方法を学びました。毎週友だちと会って話をし、神の助けと子どもの回復を祈ったのです。数か月の間、恐れや不安を神に祈っていくうちに、くよくよ心配していた自分が、祈りの戦士に変わっていると気づきました。そして、神が新しいアイデンティティー(自分)をくださったと思いました。不慮の事故による心痛と向き合い格闘したことで、彼女は信仰者として厚みを増したのです。
あふれる平安
体操クラスの知り合いが、「あなたが修養会をリードしても驚きません。あなたには良いオーラがありますから」と言いました。驚きましたが、とても嬉しかったです。なぜなら、私の内に見たオーラというのは、キリストの平安だと分かっているからです。イエスに従っていくなら、理解を超えた平安が与えられ(ピリ4:7)、自分では気づかなくても内から外に向かって光り輝きます。
約束された霊
神は偽りの時代にエリヤを用いて真実を語り、奇跡を起こされました。エリシャは従者としてそれをずっと見てきましたが、そのエリヤはまもなく「天に上げられ」ます(Ⅱ列2:1)。エリシャはエリヤと別れたくありませんが、ついにその時がきました。
神の目にかなうことを行う
イギリスでは、家の建築や改築で手抜き工事をする業者たちを指して「カウボーイ・ビルダー」と呼んだりしますが、その言葉は実際、苦い経験をさせられた人が、恐れや後悔の気持ちとともに使うことが多いようです。
主のひとみ
赤ん坊がひきつけを起こしたので、友人夫婦は救急車を呼んで病院に駆け込みました。娘の小さな手を握り、彼女のために祈りながら、友人は自分の鼓動が速くなるのを感じました。そして我が子に対する狂おしいほどの愛は、神がどれほど自分を愛しておられるかを再認識させてくれたといいます。