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Amy Boucher Pye

Amy Boucher Pye

エミー・ブシャー・パイ氏は、北ロンドン在住のライターで講演活動もしています。著作にはThe Living Cross: Exploring God’s Gift of Forgiveness and New Lifeがあります。また、Finding Myself in Britain: Our Search of Faith, Home and True Identityで賞を取りました。英国のWoman Alive Book Clubを運営し、牧師館で家族と暮らしています。ブログ(英語)をwww.amyboucherpye.comまたはFacebookかTwitterの (@amyboucherpye)で読むことができます。

寄稿一覧 Amy Boucher Pye

真の変化

ロンドン南部のいざこざの絶えない家庭で育ったクロードは、15歳でマリファナを、25歳でヘロインを売り始めました。しかし、表向きの職場だった若者支援の団体で、尊敬できる上司に出会いました。彼が信じるキリストをもっと知りたいと思い、キリスト信仰の入門講座に加わりました。そしてキリストを心に迎えます、と思い切って告白しました。「自分を喜んでくれる存在を感じたんだ。みんな僕の変化に気付いた。僕は世界一幸せな薬の売人だった」と言います。

内住のキリスト

英国の伝道者F・B・マイアー(1847~1929年)は、内住のキリストの意味を、卵を例に説明しました。受精卵の黄身は小さな「生命の芽」で、殻の中で毎日少しずつ成長し、やがてはひよこになります。同様に、イエスも聖霊として私たちの内に住み、全てを包み込んでご自身の臨在を増し、私たちの内にキリストを形作られます。ただ、内住するキリストのリアリティは、申し訳ないが言葉では完全に伝えきれない、とも言いました。しかし同時に、どんなに不完全でも、「その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります」(ヨハ14:20)というイエスのみことばの意味を伝えましょうと励ましました。

名前の力

ランジットは、インドのムンバイで路上生活している子供たちに歌を贈りました。ひとりひとつのメロディーにそれぞれの名前を入れ、彼らに教えました。自分の名前と良い記憶が結びついてほしい、自分が大切な存在であることを知ってほしいと思ったのです。彼は、愛を込めて名前を呼ばれる経験の少ない子たちに「リスペクト」という贈り物をしました。

私の居場所

過越の祭りは、ユダヤ人が神の救いの御業を祝う伝統行事です。お祝いの食事の後、教会の人たちは輪になって楽しそうに踊りました。バリーは微笑みながらそれを見つめ「これが、私の家族、私の居場所です。私が、愛し愛される場所、帰属意識を持てる場所です」と言いました。

試練の中の恵み

詩人アニー・ジョンソン・フリント(1866-1932年)は、若くして重度のリユーマチを患い、自力では歩けず介護が必要でしたが、彼女の作品に感動した客がたびたび訪ねてきました。ある失意の女性は、面会の後、神はなぜアニーにそんな試練を与えられたのかしらと手紙を書きました。アニーは「空がいつも青く澄んで、わたしたちの行く道にはずっと花が咲き乱れているとか、……そうではなく神さまの約束は……」と、詩を書いて返信しました。彼女は苦難の中にいましたが、神が御民を決して見放さないと知っていました。その詩は、試練の中の恵み、上からの助け、尽きぬあわれみ、不朽の愛が約束されていると続きます。

知恵と理解

ノリッジのジュリアンは、1373年、30歳のときに病気で死にかけました。神父が来て、共に祈ると、彼女はいくつもの幻を見ましたが、それはイエスの十字架のことだと思いました。彼女は奇跡的に癒やされて、次の20年間、教会の一室で独り、祈りと瞑想に専念する生活を送り、キリストの犠牲は、神の愛の最たる現れだとの結論に至りました。

惜しみなく与える

チャールズ・ゴードン将軍(1833-1885年)は、ビクトリア朝時代の英国の軍人で、中国など世界各地で任務に当たりましたが、英国にいるときは、収入の9割を寄付しました。ランカシャー地方で飢きんが起きると、授与された勲章の銘刻を削り取って現地に送り、その金を溶かして換金し、困窮者に食事の配給をするように言いました。その日の日記には「唯一残された価値あるものを、主イエスにささげた」と記されています。

悔い改めの贈り物

ジェーンは10代の息子の「やってない!」という言葉に落ち込みました。それはうそだと分かっています。彼女は神の助けを祈りつつ、もう一度尋ねました。しかし、息子はうそではないと言い張ったので、お手上げという身振りをしました。怒りを静めるため、その場を離れようとしたときに、肩に手が触れ、彼が謝る声がしました。息子は聖霊に示されて悔い改めたのです。

来て、礼拝せよ

多くの人が、世代を超え、気持ちよく賛美をささげていました。しかし、彼女は例外でした。泣きだしそうな赤ん坊をあやし、5歳の子に歌集を見せ、真ん中の子が走り出さないように押しとどめています。その時、後ろの席の年配の男性が、よちよち歩きの子の手を引いて会堂の中を歩こうと申し出ました。さらに、若い女性が上の子のために歌集を持ってくれました。状況は一変し、彼女は目を閉じて神を賛美し、礼拝しました。