神の大使館
チェコ共和国に暮らすルドミラは、夫を亡くした82歳の女性ですが、自分の家は「天の御国の大使館」だと語り、困窮したり傷ついたりしている人なら友人でも見知らぬ人でも喜んで迎えます。食事をふるまい、泊めることもあり、常に思いやりと祈り心で接します。聖霊の語りかけに頼って客人を助け、神がその人たちの祈りに応えるのを喜びます。
謙遜な姿勢
ヤンの優しい夫は、彼女が会合に出かけるとき、「手を後ろで組んでいれば大丈夫だよ」と言います。自分が人の関心を買おうとしたり、場を支配しようとしたりしていると気付くと、彼女はそうします。謙虚に人の話を聞く気持ちになるからです。自分の前にいる人を愛し、謙虚になって聖霊に用いられなければ意味がないと思い出すのです。
みことばと新年
ミシュランはフィリピンで育ちましたが、辛いことがあると良書に慰めを得ていました。大学生になったとき、ヨハネの福音書1章を読んで、「石のような心が強く動かされた」と言います。「君は言葉を愛しているが、ちょっと聞いてほしい。常に暗闇を切り開くことのできる永遠のことばがある。それはことばなるお方、君を愛してくださることばだ」と誰かに言われたような気がしました。
平和の君
ジョンは風邪から肺炎を発症し入院しました。母はがんの治療のために同じ病棟の上階の部屋にいます。ジョンの心は不安で押しつぶされそうでした。そしてクリスマスイブ。ラジオから流れる「さやかに星はきらめき」を聴きながら、彼は神の深い平安に包まれました。愛する救い主が降誕された夜について語る歌詞に聞き入りました。「あたらしき朝はきたり さかえある日はのぼる」そのとき、ジョンの不安は消え去りました。
大ぜいの群衆
日曜日の朝、私たちはコロナ禍で離れ離れでしたが、喜びと期待を胸に礼拝に集い、ガヴィンとティハナの結婚を祝いました。スペインやポーランド、セルビアなどにいる親族や友人たちも参加できるように、ITに詳しいイラン人の友人が、式の様子を動画配信しました。この工夫によって、みんなは、二人の結婚の誓いを、制約のある中でも見守れたのです。神の御霊が私たちを一つにし、喜びをくださいました。
主をほめたたえよ
アメリカ中西部の蒸し暑い夏、1週間の弟子訓練会議の参加者たちは、最終日に訪れた涼風を心から歓迎しました。天候の変化と会議中に成された神の驚くべきみわざに感謝して、数百人が声を合わせて賛美しました。多くの人が、神に心から歌う解放感を味わい、各々の心、たましい、身体、思考を、神にささげました。数十年が経った今も、あの時の神を賛美する純粋な喜びとその不思議を忘れることはできません。
神の印影が入った命令書
アグネスは牧師と結婚し、6年間、義母(牧師の妻)を模範に、完璧な牧師夫人になろうと努めました。また、牧師夫人なのだからと、作家や画家の活動は自粛しましたが、豊かな創造性を押し殺すことで、うつになり、自殺願望が芽生えました。近所の教会の牧師が手を差し伸べ、共に祈り、毎朝、2時間は文章を書くように促しました。それは「神の印影が入った命令書」を受け取ったようだったと、彼女は語ります。「私が私であるためには、神から与えられた創造性が、流れ出す水路が必要でした」と述べています。
神の内に安らかに住まう
子どもたちが中学に入ったとき、それぞれに手紙を書きました。自分で自分のことがよく分からず不安だった、あの年頃の自分の経験を思い出し「キリストにある私」ということについて書きました。当時の私は、自分が神の愛する神の子どもである、と納得する必要がありました。私は「自分がどういう存在かという認識は、結局のところ、自分は誰のものなのかという認識なのです」と記しました。自分は、神に造られたことを理解し、神に献身的に従っていこうと決心するとき、私たちは自分のあるべき姿を安んじて受け入れることができます。
個人伝道
ドワイト・ムーディー(1837年-1899年)はキリストを信じてすぐ、福音を毎日、少なくともひとりには伝えようと決心しましたが、忙しくて、忘れることもありました。ある夜、寝床に入ってから思い出し、家を出ましたが、土砂降りの雨でした。こんな夜は誰にも会えないと思っていると、夜道を歩いてくる人がいます。彼は駆けて行って、傘に入れてほしいと頼みました。どうぞと言われると、「嵐のときの避難所はお持ちですか。イエスのことを話してもいいですか」と尋ねました。ムーディは、即座に伝道することを実践したのです。