イエスのように
教会学校の先生が、十戒の第一戒、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」(出20:3)について話しました。彼女は「神さまより大切なものを作ってはいけませんよ。お菓子も宿題も、テレビゲームもね」と例を挙げて説明しました。そして、神を第一とするとは、聖書を読み祈る時間を、何よりも優先させることだと教えました。
すると、上級生のひとりが示唆に富む質問をしました。クリスチャンでいるとは、戒めを守ることか、それとも、神が自分の生活全体に関わろうとされていると考えることか、どちらですかと尋ねたのです。
私たちは時々、聖書をルールブックのように捉えるという間違いを犯します。確かに神に従うことや(ヨハ14:21)、聖書を読んだり、祈ったりする時間は大切です。しかし、言いつけを守らなければならないから、これらをするのではありません。イエスと天の御父は互いに愛し合う関係でした。私たちも神と個人的な関係を結ぶと、神と一緒に過ごすことや、神に従うことを強く願うようになります。そして、だんだんイエスに似てきます。ヨハネは、「神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません」と語りました(Ⅰヨハ2:6)。イエスは、私たちが従うべき模範です。
どうすれば愛せるのか、どうすれば謙遜になれるのか、また固く信じられるのか。そして、どのように優先順位を決めていけばよいのかなどにについて知りたいときは、イエスを見て学びましょう。そして、イエスに従いましょう。
祈りの力
妹が癌だと聞いたとき、祈って欲しいと友人に頼みました。手術のときは、癌がすべて取り除かれ、化学療法や放射線療法を受けずにすむように、と祈りました。神は、その祈りに「イエス」と答えてくださいました。手術の成功を友人たちに伝えると、ある人は「まあ、うれしい!祈りの力ね」と言ったのですが、私は「神が私たちの祈りに今回は『イエス』と言ってくださって感謝だわ」と答えました。
ヤコブは「義人の祈りは働くと、大きな力があります」と語りました(5:16)。しかし、「働くと、大きな力がある」というのは、熱心に祈れば祈るほど、あるいは祈ってくださいと頼んだ人が多ければ多いほど、その祈りはきかれるということでしょうか。私は今までに、「だめです」とか「しばらく待ちなさい」と神に言われたことが何度もありましたから、この考え方には疑問を感じます。
祈りには力がありますが、その力は不思議な力です。私たちは信じなさい、と教えられました。大胆かつ熱心に、そして辛抱強く祈り、最後には、神のご決断に従いなさいと教えられました。知者である神が答えられたので、それが最善の答えです。「あなたの気持ちを話しなさい」と神が言ってくださること自体が感謝ですし、祈りの答えが何であれ、神が良いお方であることに変わりはありません。
私はオー・ハレスビーの言葉が好きです。「祈りと無力さは切り離すことができません。無力な人だけが本当に祈ることができるのです。…無力さから出る祈りこそが最高の祈りです。」自分が無力であることを認めましょう。
親切な言葉
友人のスコットは、仲睦まじい妻の両親を心から尊敬していたので、ある日、幸せな結婚生活の秘訣をふたりに尋ねました。すると義父のケンは、「お互いをいたわり続けることだよ」と答えたそうです。また別の友人は、私たち夫婦(その他の夫婦にも)に送る手紙の結びにいつも、「お互いに相手を大切にすることを忘れないでね」と書きます。
愛しているので
昨年のクリスマスには、スキーパンツやブレスレット、キンドル(電子書籍を読む機器)など、素敵な品物をもらいました。しかし、一番嬉しかったのは、たくさんの人に会えたことでした。遠方から甥や姪が訪ねてきてくれ、彼らの9人の子どもたちと遊びました。クリスマス・イブ礼拝には、姪夫婦と1歳半の娘と一緒に行きました。また、定年退職した元同僚の奥さんが身体を壊しているので、彼女を見舞いに行きました。
神がご自身を現される
子どもの祈りから、その子の神観が分かります。最近読んだものをふたつ紹介しましょう。「愛する神さま、あなたが『ねたむ神』というのはどういう意味ですか。あなたは何でも持っておられると思っていたのに。」「火曜日にあなたが創られた夕焼けを見るまでは、オレンジ色と紫色は合わないと思っていました。すっごくきれい!」
良い香り
ケイティはリンダに誘われて、教会の中高生の食事会に行きました。彼女は幼いころに少し教会に行っていただけなので、知らない人ばかり集まる教会の食事会に少し緊張していました。けれども、自分の席にカードが置いてあるのを見て気持ちが落ち着いてきました。それぞれの席に、皆が寄せ書きをしたカードが置かれていましたが、飛び入りの自分にも同じように寄せ書きカードが準備されていました。ケイティはメンバーの温かさにじんときました。
イエスは近くに
サムエル(4歳)は、晩ごはんを食べ終えると、「向こうにいってもいい?」と尋ねました。外で遊びたかったのです。しかし、ひとりで外に出るには幼すぎる ので、母親は「だめよ。ひとりでお外に行ってはいけないの。ごはんを食べ終わったら、ママが一緒に行ってあげるから待っていなさい」と言いました。する と、サムエルは、すかさず言いました。「でもママ、イエスさまがぼくと一緒にいるよ。」
サムエルは、主がいつもそばにいてくださることを、両親に教えてもらっていました。今日の聖書のみことばでは、ヤコブも同じ教訓を学んでいたことが わかります。父イサクはヤコブを祝福して、母の親戚の中から妻をめとるように告げました(創28:1-4)。ヤコブは父の指示に従い、ハランを目指して旅 立ちました。
ある夜、ヤコブが寝ていると主が夢に現れ、「わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、…決してあなたを捨てない」と言 われました(15節)。ヤコブは目覚めて、あれは神のみことばだったと気付き、「まことに主がこの所におられる」と言いました(16節)。そして、神がと もにいてくださることを確信し、神に従って人生を歩もうと決心しました(20-21節)。
イエスを自らの救い主として心に迎えたならば(ヨハ1:12)、神は常にその人とともにいてくださいます。私たちはその真理を確信し、その真理に慰められます(ヘブ13:5)。私たちもヤコブのように、真心からの献身で神に応答できますように。
金を選別する
アラスカに旅行したとき、フェアバンクスの近くのエル・ドラド金山に行きました。金山を見学し、ゴールドラッシュ時代の採鉱方法の実演を見た後、金の選別作業を体験しました。一人ひとりに平なべと、土と石の入った袋が渡されます。袋の中身を平なべに入れ、水槽から水を加えると、その泥水をぐるぐるかき混ぜながら捨てていきます。そうすると、金は重いので、それだけがなべの底に残るのです。私たちは熟練の業を見てからまねをしようとしましたが、ほとんど上達しませんでした。というのも、金が混じっているかもしれないと思うと、価値のない土を思い切って捨てられないからです。
この体験は、何かを持っていると真に価値ある物を見つけられないことがあるという真理を表しています。このことが当てはまるひとりの金持ちと、イエスは出会われました。この金持ちにとって、この世の富は、精神的な宝よりも重要でした(ルカ18:18-30)。その様子を見て、イエスは「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう」と言われました(24節)。
金銭は、それ自体は悪いものではありません。しかし、蓄財が人生の目標になってしうことがあります。そうなったなら、人は本当の豊かさを手にすることはできません。一生懸命にお金を貯めるのは愚かなことです。なぜなら、試練を耐えて、神を賛美し、神に栄光や栄誉を帰すように私たちを支えてくれるのは、お金ではないからです。それは純粋な信仰です(Ⅰペテ1:7)。