夫婦で公営プールにいたとき、周りの人たちが空を見ているのに気づきました。小型飛行機が飛んでいて、煙で何かを書いていました。じっと見てみると、パイロットは「あ・い・し・て・る」と書いていきます。人々は、ひょっとしたらプロポーズではないかと推測し始めました。ロマンチックな男性が恋人と一緒に、どこか近くのバルコニーにいて、「結婚してください」と、今にも告白するのではないだろうかと。さらに見ていると、「あ・い・し・て・る、ジ」となり、若い女の子たちの「きっとジェンよ、もしかしたらジェシカかな」という声が聞こえました。パイロットはさらに書き続けました。すると、その名は「ジーザス」でした。彼は、イエスを愛していると多くの人たちに宣言したのです。

私の友だちは、「愛しています、主よ」といって、祈りを締めくくります。彼は「『愛しています』と言わずにはいられないんだ。ぼくのために、こんなにまでしてくれたのだから」と言います。今日の聖書のみことばはローマ人への手紙6章1節~11節ですが、使徒パウロはここでイエスの御業について語っています。イエスは十字架にかけられ、葬られ、復活しました。この御業のために、イエスを信じる私たちは、今新しいいのちを持っています(4節)。もはや罪や死の恐怖に支配されず(6節、9節)、キリストと永遠に生きるために復活します(8節)。このような御業は、私たちが心を込めて愛するのに、十分に値します。

「愛しています、ジーザス」と言うのは、当然です。