イエスのなさったことを見よ
イエスさまが大好きだから宣教師になって神に仕えたいと、ワリーに話した少年がいました。彼はワリーの友人の息子で、当時8歳でした。それから十数年、ワリーは少年の成長を祈りつつ見守りました。そして、彼がアフリカのマリ共和国で活動する宣教団体に加わることになると、次のように言いました。「君が宣教師になりたいと話してくれたとき、君のためにと思って信託銀行に貯金をして、この良い知らせをずっと待っていたんだよ。」ワリーは人の必要に敏感で、福音伝道に熱心でした。
感謝の生活
自分の霊性を育て、感謝に溢れた人生を送ることを願って、スーは「感謝の瓶」を始めました。彼女は毎晩、神に感謝することをひとつだけメモ用紙に書いて瓶に入れました。神をたたえることがたくさんある日もあれば、ひとつ探し出すのに苦労する日もありましたが、大晦日、瓶をあけて、それらのメモを読み返しました。すると、神の成してくださったすべてのことに、再び感謝せざるをえませんでした。神は美しい夕暮れや心地良い散歩のような、小さな幸いもくださいましたし、祈りに応えてくださって、困難な状況に対処する導きもくださいました。
私たちの覆い
イエスを信じる信仰について話すとき、言葉の意味をきちんと説明せずに使ってしまうことがあります。例えば「義」という言葉です。私たちは、神は「義」であり、人を「義」とされると言いますが、これはとらえることが難しい概念です。
何かが変わるために
感謝祭の過ごし方についてゲリーは、家族のみんなが神に感謝していることを順番に話す、と言いました。ランディーは、「家族で賛美をするんだけど、おばあちゃんは止まらなくなるんだよ」と言いました。家族で会食をして祈ると言った人は、父親について、「亡くなった父は認知症だったけれど、感謝の祈りはしっかりしていた」と言いました。エミリーはこれを聞いて羨ましくなり、自分はみじめだと感じて、「うちは七面鳥を食べてテレビを見るだけで、神のことを話したり、感謝することはないわ」と思いました。
見せかけ
ケリーは良い人であろうと一生懸命です。彼女はいつも明るく元気です。そうすれば、みんなが喜びに満ちた態度を見て、褒めてくれるからです。また、地域の人々に親切にしているので、それを褒める人もいます。しかしケリーは、自分は神を愛しているけれど、自分の行為が見せかけのように感じることがあると言います。良い人でいようと頑張る姿の裏には、自分に対する自信の無さがあり、今までのように続けていくことに疲れを感じると告白します。
やらなきゃならない
ジョーイーは祈って、子ども礼拝を始めました。そして、皆で歌いました。次に、アーロン先生を紹介して祈ると、6才のエマニュエルがごそごそし始めました。お話の始めと終わりにアーロンが祈ると、エマニュエルが文句を言いました。「これで4つ目のお祈りだよ。そんなに長くじっとしてられない!」
しゃぼん玉
アトランティック・シティーの遊歩道を夫婦で歩いていたとき、男の子が脇を駆け抜け、しゃぼん玉が降ってきました。それは、重苦しい一日に訪れた楽しい時間でした。私たちはその日、義理の兄を病院に見舞いました。また、なかなか医者に診てもらえずに困っている、姉を助けようと努力していました。海岸べりの遊歩道を歩きながらひと息つこうとしつつも、彼らの必要の大きさに圧倒されていました。 そこへしゃぼん玉が降ってきました。小さな男の子が、海風の吹く中で気まぐれに飛ばしたのですが、私にとっては大きな意味がありました。私はしゃぼん玉が大好きで、事務所の机の中には石鹸水の小瓶を常備しています。笑顔が必要なときに使うためです。
堂々と歩く
ハンターは15歳だった2015年の夏、8歳の弟ブレーデンを背負って約90キロを歩きました。脳性麻痺の人たちの支援を啓発するためです。ブレーデンの体重は約27キロもあるので、特別のおんぶひもを装着しました。そして、何度も休憩を取ったり、支援者にストレッチをしてもらったりもしました。ハンターによると、おんぶひもは確かに役に立ちましたが、何よりの支えは、道中、応援をしてくれた人々だったそうです。「もし応援してくれたり、一緒に歩いてくれたりする人がなければ、やり遂げることはできなかったでしょう。…足は痛くても、友だちが元気をくれたので、最後まで頑張ることができました」と言いました。彼らの母は、この過酷な旅路を「脳性麻痺の快挙」と言いました。
そばに立つ
小学校の卒業式で、ミアーシャは30人のクラスメートと両親が見守る中、硬い表情で講壇に上がりました。校長先生がマイクの高さを調節してくれましたが、彼女は聴衆の方を向くことができません。みんなは「大丈夫。頑張って!」と励ましましたが、ミアーシャは凍りついています。するとその時、クラスメートのひとりが前に出ていき、彼女の横に立ちました。片方に校長先生、もう片方に友だちが立ち、三人はいっしょにミアーシャのスピーチを読み上げました。何とうるわしい光景でしょう。支えるとは、こういうことです。