兄弟の言うことを聞く
近所に住む兄弟の兄の方が「戻っておいで!お兄ちゃんの言うことを聞きなさい」とどんどん離れて行く弟を心配して叫びました。年上の子どもの方が明らかに、その場の状況を把握しています。
堅く立つ方法
凍てつく冬の日のことでした。私は、暖房をした暖かい車から降りてすぐ、暖かい建物の中に駆け込もうと思っていました。ところが、どうしたことでしょう。気づくと地べたに倒れていました。骨折はしませんでしたが、膝が内側、足は外側という変な姿勢で転んだので、ひどく痛みます。その上、痛みは時間と共に増していきます。完治するまで何週間もかかりそうでした。
安かれ、わが心よ
子どもを優しく抱きかかえ「よしよし」と言いながら、トントンと背中を叩く姿を想像してください。その行為と優しいささやきは、失望、不安、不快や痛みの中にある子どもを慰めて、落ち着かせてくれます。このような情景は時代にかかわらず普遍的で、私たちもそうしてもらったり、そうしてあげたりして生きてきました。私は詩篇131篇2節を読むと、そんな情景が心に浮かびます。
盲人の必死の願い
数年前、私が遠くのものを見にくそうにしていると気づいた友人が、自分の眼鏡をはずして「これを試して」と言いました。その眼鏡をかけると驚いたことにはっきり見えるではありませんか。それで検査をして眼鏡の処方箋を書いてもらいました。
イエスをしっかり見る
私が子どもの頃に通った教会のジャスティスさんほど誠実な人はいません。妻を大切にし、郵便局員として真面目に働き、日曜日は教会で奉仕しました。先日、この教会に行ったとき、ピアノの上のベルに気づきました。礼拝の始まりにジャスティスさんが鳴らした、あの年季が入ったベルです。彼はずいぶん前に天に召されましたが、誠を尽くすという彼の遺産は、この教会に脈々と受け継がれています。
安心の毛布
スヌーピーの漫画に登場するライナスは優しく頭が良いのですが、いつも毛布を持っています。それで安心感を得ようとしているのです。私たちにも恐れや不安がありますから、彼と同じです。
私の助け主
長年、人々に感動を届け続けるブルックリン・タバナクル・クワイアー(米国の聖歌隊)のゴスペルに「私の助け」という曲があります。このもとである。詩篇121篇は、信仰告白から始まります。神は世界の創造主であり、この作者を助けるお方です(1-2節)。それは、安定であり24時間体制の守り(3-4節)、常時そばにいて(5-6節)すべての災いから(7節)今よりとこしえまで(8節)守ってくださるという告白です。
このお方はどういうお方か
学生は「筆記用具以外は全てしまいなさい」という言葉でテストが始まると分かります。一方、マルコの福音書4章によると、舟の上のイエスから教えられた、弟子たちの試験は、思いがけず湖の上でした(1、35節)。