幸せバイキング
ファミリーレストランのテレビ広告で「当店で幸せバイキングを!」と宣伝しているのを見ました。フライドポテトやパスタやグラタン、サラダやケーキをファミリーレストランで食べるだけで幸せになれるなら、何と手軽なことでしょう。しかし残念ながら、そのように約束できるレストランはひとつもありません。
幸せをつかむことはなかなかできないと、人生が教えてくれます。もちろん、食べ物や他の物が手に入ることも幸せには違いありませんが、いずれはそれが当たり前になって、次の「幸せ探し」が始まります。それはおそらく、手に入れたものが、心の奥底から必要なものではなかったからでしょう。幸せになろうと、ちょっとした気晴らしや娯楽を求めて、それが手に入ったところで「助けて欲しい」とか「希望がほしい」という心の叫びには応えてくれません。それゆえ、詩篇の作者は「幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は」と語り、幸せになる最良の方法を示してくれます(詩146:5)。
主のうちに幸せを求めるなら、あなたは大丈夫です。主と主の計らいに自らを委ねた時にだけ、私たちは探し求めていた幸せを見つけるからです。助けや希望は、主を信頼して初めて手にすることができます。
きよい手
あちこちで「手を洗いましょう」と書かれているのを目にするようになりました。このところ、私たちは病原菌やウイルスに攻撃されることが多いので、地域の保健所は、手洗いをおろそかにしないことが病気の感染拡大を防ぐ最善の方法だと訴えています。多くの公共の施設には、手洗い励行を促す案内だけではなく、消毒用ハンドジェルも用意されています。
開かれた耳
最近、耳が遠くなったので賛否両論のある治療を試すことにしました。それは、耳あかを溶かして、耳を聞こえにくくしている障害物をすべて取り除くというものでした。風変わりな治療法だという感想は否めませんが、どうしてもきちんと聞こえるようになりたかったので、試してみることにしました。
涙の道
アメリカ史上に残る悲惨な出来事として、19世紀初期に行われた先住民の強制大移住が挙げられます。当時、急速に増加する白人たちと数々の条約を結び、アメリカ独立革命をともに戦った先住民たちが、先祖伝来の地から追放されました。1838年の冬、チェロキー族は「涙の道」として知られる1,600キロメートルもの道を西に向かって歩かされました。
行け!行け!
交差点の反対側に、青信号になってもぐずぐずしている車がありました。どこからともなく、「行け、行け!早く行け!」という大声がします。ところが、その車の運転手は、どなり声に驚いてしまったのでしょう。きょろきょろするばかりで前進しません。そのとき私の目に映ったのは、後方の車についている大きなスピーカーでした。何と、これで運転手を怒鳴りつけていたのです。
移動図書館
ゲーム機などができる前、私の少年時代のことです。長い夏休みには、毎週やってくる移動図書館が楽しみでしかたありませんでした。地域の図書館になかなか行けない人たちのために、本棚にぎっしり本を詰め込んでやってくるバスです。この移動図書館のおかげで、たくさんの本を読んで夏を楽しく過ごせました。今でも、この移動図書館が私を読書好きにしてくれたと感謝しています。
及ばない
米国で1970年代に流行したものの中に、バイクジャンプがあります。しかし、1974年9月8日に流行のピークを迎えたと言えるでしょう。その日、アイダホ州のスネーク・リバー・キャニオンには多くの観客が集まっていました。イーブル・ニーブル氏の乗る蒸気を使った特注マシン「スカイサイクル」が谷を飛び越えられるか見物しにきたのです。結局、この試みは失敗に終わりました。
死に至るまで忠実
イギリスのリバプールにあるウォーカー・アート・ギャラリーには、古代都市ポンペイの忠実な護衛兵の絵があります。この絵は、考古学者が発掘したポンペイの遺跡から見つかった、火山灰に埋もれた完全武装のローマ兵を題材にして描かれました。紀元79年のベスビオ火山の噴火によって、ポンペイの人々と町は、一夜にして灰に埋ずもれました。
目を覚ます
初秋のある朝、まだ外が暗いうちに家を出て車で事務所に向かっていました。すると突然、ヘッドライトで照らされた前方を茶色いものが横切り、次の瞬間、何かが当たった音がしました。私は時速110キロで走りながら、鹿に接触してしまったのです。かすった程度でしたので、車は(おそらく、鹿も)大丈夫でしたが、私は大いに動揺しました。