あなたの神を選べ
ギリシャ神話をテーマにしたオンラインゲームのコマーシャルが目に留まりました。軍隊、神話の神々、英雄、冒険のゲームです。中でも注意を引いたのは、ゲームの始め方です。まず、オンライン登録し、自分の神を選び、そして、自分の帝国を築くという手順です。
何と、「神を選ぶ」のです。コマーシャルではさらりと言っていますが、この世で最も危険な行為の特徴が現れていると思い、私は大きな衝撃を受けました。ゲームの中では、神を選ぶことは大して重要ではないかもしれません。しかし、実生活では、ゆゆしい問題です。その選択次第で、どこで永遠を過ごすかが変わってきます。
イスラエルは、その土地の神々に取り囲まれていました。その中でヨシュアは、あなたの神を選びなさいと、民に言い渡しました。決して安易な気持ちで言ったのではありません。また、自らの決意も述べました。聖書は語ります。「川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える」(ヨシ24:15)。
ヨシュアの時代と同様、現代人にも多くの選択肢があります。しかし、賢明な選択は唯一、真実の神を選ぶことです。ヨシュアは「私と私の家とは、主に仕える」と言いました。これこそ、正しい選択です。
解決済み
私はサッカーを見るのが大好きで、イングランド・プレミアチームのリバプール(愛称は「レッズ」)のファンです。ですから、レッズの試合はハラハラ、ドキドキしながら見ています。ひとつのゴール、ひとつのミスプレーが勝敗を左右するので、観戦中は興奮しています。このスリルがたまらないのです。ところが先日、レッズの試合の録画を見ました。何と平安な心で、それを見られたことでしょう。すでに結果が分かっているのですから、リラックスして選手の動きを見て楽しむことができました。
人生は、スポーツの試合の生中継を見るようなものです。将来のことは分かりません。ショックなことや、思いがけないこと、いらいらしたり、不安に感じることがあります。なぜなら、私たちには結末が見えないからです。ところが、クリスチャンには慰めが与えられています。この世の人生で起こる多くの事柄の結末は分かっていませんが、永遠という最終的な結末は、イエス・キリストの御業によってすでに決まっているからです。
使徒ヨハネは「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです」と述べています(Ⅰヨハ5:13)。人生には思いがけないことが起こるかも知れませんが、私たちにはキリストの御業による平安があります。私たちの永遠という最終的な結末は、キリストによってすでに決まっています。
幸せバイキング
ファミリーレストランのテレビ広告で「当店で幸せバイキングを!」と宣伝しているのを見ました。フライドポテトやパスタやグラタン、サラダやケーキをファミリーレストランで食べるだけで幸せになれるなら、何と手軽なことでしょう。しかし残念ながら、そのように約束できるレストランはひとつもありません。
幸せをつかむことはなかなかできないと、人生が教えてくれます。もちろん、食べ物や他の物が手に入ることも幸せには違いありませんが、いずれはそれが当たり前になって、次の「幸せ探し」が始まります。それはおそらく、手に入れたものが、心の奥底から必要なものではなかったからでしょう。幸せになろうと、ちょっとした気晴らしや娯楽を求めて、それが手に入ったところで「助けて欲しい」とか「希望がほしい」という心の叫びには応えてくれません。それゆえ、詩篇の作者は「幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は」と語り、幸せになる最良の方法を示してくれます(詩146:5)。
主のうちに幸せを求めるなら、あなたは大丈夫です。主と主の計らいに自らを委ねた時にだけ、私たちは探し求めていた幸せを見つけるからです。助けや希望は、主を信頼して初めて手にすることができます。
きよい手
あちこちで「手を洗いましょう」と書かれているのを目にするようになりました。このところ、私たちは病原菌やウイルスに攻撃されることが多いので、地域の保健所は、手洗いをおろそかにしないことが病気の感染拡大を防ぐ最善の方法だと訴えています。多くの公共の施設には、手洗い励行を促す案内だけではなく、消毒用ハンドジェルも用意されています。
開かれた耳
最近、耳が遠くなったので賛否両論のある治療を試すことにしました。それは、耳あかを溶かして、耳を聞こえにくくしている障害物をすべて取り除くというものでした。風変わりな治療法だという感想は否めませんが、どうしてもきちんと聞こえるようになりたかったので、試してみることにしました。
涙の道
アメリカ史上に残る悲惨な出来事として、19世紀初期に行われた先住民の強制大移住が挙げられます。当時、急速に増加する白人たちと数々の条約を結び、アメリカ独立革命をともに戦った先住民たちが、先祖伝来の地から追放されました。1838年の冬、チェロキー族は「涙の道」として知られる1,600キロメートルもの道を西に向かって歩かされました。
行け!行け!
交差点の反対側に、青信号になってもぐずぐずしている車がありました。どこからともなく、「行け、行け!早く行け!」という大声がします。ところが、その車の運転手は、どなり声に驚いてしまったのでしょう。きょろきょろするばかりで前進しません。そのとき私の目に映ったのは、後方の車についている大きなスピーカーでした。何と、これで運転手を怒鳴りつけていたのです。
移動図書館
ゲーム機などができる前、私の少年時代のことです。長い夏休みには、毎週やってくる移動図書館が楽しみでしかたありませんでした。地域の図書館になかなか行けない人たちのために、本棚にぎっしり本を詰め込んでやってくるバスです。この移動図書館のおかげで、たくさんの本を読んで夏を楽しく過ごせました。今でも、この移動図書館が私を読書好きにしてくれたと感謝しています。
及ばない
米国で1970年代に流行したものの中に、バイクジャンプがあります。しかし、1974年9月8日に流行のピークを迎えたと言えるでしょう。その日、アイダホ州のスネーク・リバー・キャニオンには多くの観客が集まっていました。イーブル・ニーブル氏の乗る蒸気を使った特注マシン「スカイサイクル」が谷を飛び越えられるか見物しにきたのです。結局、この試みは失敗に終わりました。