交差点の反対側に、青信号になってもぐずぐずしている車がありました。どこからともなく、「行け、行け!早く行け!」という大声がします。ところが、その車の運転手は、どなり声に驚いてしまったのでしょう。きょろきょろするばかりで前進しません。そのとき私の目に映ったのは、後方の車についている大きなスピーカーでした。何と、これで運転手を怒鳴りつけていたのです。結局、ぐずぐずしていた運転手は、気を取り直したのでしょう。何もなかったように進んでいきました。私は、スピーカーつきの車の運転手の乱暴さと短気にあきれかえってしまいました。

神は、この運転手のようだと考える人が時々います。つまり、神も怒りっぽく短気で、今にも「聖なる」メガホンで怒鳴り出そうとしている、と考えています。このような人たちは、神が後ろから見張っていて、少しでも間違おうものなら罰してやろうと身構えておられると恐れています。

しかし実際は逆です。神は、ご自分の子どもたちが人生につまずいたり、ぐずぐずしたりしていても、実に忍耐強く愛してくださり、その愛を示してくださいます。使徒パウロは、テサロニケの人々にこのことを知ってほしかったので、「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように」と祈っています(Ⅱテサ3:5)。

神は私たちの内に働かれ、私たちの人生に働かれて、神の目的を達成されます。神は、愛を持って子どもたちの背中を押したり、懲らしめたり、しつけたりされることもあります。しかし、決して短気を起こして怒鳴りつけたりはなさいません。