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Dave Branon

Dave Branon

デイブ・ブラノン氏は、Discovery House Publishersの編集者です。これまでに、15 冊の著書を執筆しました。ブラノン氏と妻スーの趣味は、ローラーブレイドです。また、子どもや孫たちとの時間を大切にしています。

寄稿一覧 Dave Branon

見捨てられた?

新約聖書の中で最も多く引用されている詩篇は何でしょう。なじみ深い23篇だと思うかもしれませんが、実は詩篇22篇です。その冒頭には、ダビデの悲痛な心の叫びがあります。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。」これは、イエスが十字架の上で口にされた言葉でもあります(マタ27:46、マコ15:34)。

あの人でさえ

家系図をたどっていくと、先祖には娼婦がいて、その人は国家の敵をかくまった上に役人の尋問を嘘でかわしていたということが分かった、と想像してみてください。あなたならどうでしょう。恥ずかしいご先祖さまとして秘密にしますか。それとも、一族の伝説のヒロインとしてスポットライトを当てて賞賛するでしょうか。

ラハブを見てみましょう。もし彼女がヨシュア記2章にしか登場しないなら、私たちは彼女を聖書に登場する他の裏切り者と一緒くたにして、悪者のひとりにしてしまうかもしれません。ところが、彼女の物語はここで終わっていません。マタイ1章5-6節には、彼女がダビデ王の高祖母であることが示されています。つまりラハブは、救い主イエスの家系に連なっています。さらにヘブル11章31節は、ラハブを信仰の人と語り、エリコの陥落(ヨシュア記6:17参照)によって滅びなかったのは、その信仰によるのだと記しています。ヤコブの手紙2章25節は、彼女がイスラエルのスパイを救出したのは立派な信仰の証だと語ります。

神の愛にはびっくりさせられます。神は、評判の悪い人に目を留めて、その人の人生を変えられます。変えられた人生をとおして、神の愛と赦しを明らかに示されます。自分は悪すぎるので赦されないと思っていますか。または、そのように思っている人を知っているなら、ラハブについて読んでください。そして喜んでください。神はラハブでさえ正義のかがり火に変えてくださいました。そういうことならば、私たちにも希望があるはずです。

創造の始まる前

息子のスティーブが10代のとき、ずいぶん難しい質問をしてきました。「お父さん、神さまは永遠の昔からおられた方でしょう。だったら、宇宙ができる前、神さまは何をされていたの?」

「初めに、神が天と地を創造した」(創1:1)と聖書は語りますが、その前は、どうなっていたのでしょう。ひとつ分かることは、創造前にも「知恵」があったことです。知恵は、神の品性に由来するものです。箴言8章23節は、知恵が擬人化され、「大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた」と語ります。

次に、神の恵みによる救いの計画は、大地の基がすえられる前にすでにあったことも分かっています。テモテへの手紙第二の1章9節によれば、恵みは「キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたもの」です。また、テトスへの手紙1章2節には、永遠のいのちは「永遠の昔から」約束されていたと記されています。私たちは、主イエスが「世界が存在する前」から神と一緒におられて、神の愛と栄光を受けておられたことを聖書から知っています(ヨハ17:5、24)。

このようにして、天地が創造される前の神をほんの少しだけ垣間見ることができます。そして、神がいかに大きくて畏るべきお方であるか、いかにとこしえなるお方であるか、という神の本質を若干ですが理解できます。私たちは、神の威光と偉大さを見ます。何と驚くべきことでしょう。私たちは、とこしえからとこしえにおられる神を崇めています。

なおも実を結ぶ

知らずに希望の種を蒔いていることがあります。収穫はずいぶん後にやってくる場合もあります。思いがけない時に、思いがけない方法で、あなたの信仰の実が結ばれるのです。

私の娘のメリッサは、幼いときに神の救いを受け入れました。しかし自分のことを、誰かの人生を変えるような偉大なクリスチャンだとは思っていません でした。彼女は、友だちづきあいを大切にしながら、学業やクラブ活動、そしてアルバイトにいそしむ普通の高校3年生でした。ただ、神に喜ばれるように生き ようとしていました。

しかし彼女は2002年、わずか17歳で天に召されました。すると、彼女の信仰や神に忠実な日々の歩みが、ひとり歩きを始めました。死は前触れもなく訪れ、人間関係を修復する間はありません。もはや「多くの実」を結ぶ、新たな機会はありません(ヨハ15:8)。

メリッサは、神に喜んでいただけるように日々を過ごそうとしました。そんな彼女の生き方は、今でも実を結び続けています。つい先日、ある若者が、クリスチャンのスポーツ・キャンプでコーチからメリッサの話を聞き、イエスを救い主として心に迎えたそうです。

私たちは皆、自分の人生の物語をつづっています。それは今だけでなく、将来に渡って誰かに影響を与えます。あなたは神を喜ばせようと生きていますか。神はいつ私たちをみもとに招かれるかわかりません。収穫に目を留めながら、毎日を過ごしましょう。