寄稿者

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David C. McCasland

David C. McCasland

デービッド・マッカスランド氏は、1995年から「デイリーブレッド」の著者に加わりました。Discovery House Publishersから著書が出版されています。マッカスランド氏は、妻ルアンとともにコロラド州に住んでいます。二人には、4人の娘と6人の孫があります。

寄稿一覧 David C. McCasland

信仰を持って大胆に生きる

テキサス州のオースティンで初めて泊まるホテルに滞在しました。机の上にウエルカムカードがあり、そこには「ようこそ。あなたの旅が実りあるものになりますように、また当ホテルで安らぎの時を過ごせますようにと祈っています。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように!」とありました。

祈ること

私は英国の作家G.K.チェスタトンの作品が好きです。彼の洞察力やユーモアにはクスッと笑わされ、同時に深く考えさせられます。たとえば、彼はこう書いています。「人は食前の祈りをすると言います。けれど私は、演劇やオペラの前、コンサートやパントマイムの前、読書やスケッチ、絵画、水泳、フェンシング、ボクシング、散歩、遊び、ダンス、そしてインク壺にペンを浸す前にも、祈ります。」

孤立無援

聖書のみことば:詩篇31:14-24

あなたは私の願いの声を聞かれました。私があなたに叫び求めたときに。—詩篇31:22

南極では闇に包まれた冬が9ヶ月にわたって続き、気温はマイナス82度まで下がります。航空機の離着陸は2月下旬から11月まで休止するので、点在する観測基地で働く隊員たちは、外の世界から切り離されたも同然の状況になります。助けを求める叫び声が、神にさえ届かないように思えます。詩人ダビデは苦境で「わたしはあなたの目の前から絶たれたのだ」と言い、主に忘れられてしまったのではないと気づくと、喜んで「あなたは私の願いの声を聞かれました。私があなたに叫び求めたときに」と賛美しました(詩31:22)。

今、なすすべがない、と途方に暮れてしまうような状況に置かれていますか。身体を壊したり、人間関係につまずいたり、家族に大きな問題があるでしょうか。しかし、イエス・キリストの贖(あがな)いの愛は、その厳しい冬の現実の中に介入してくださいます。そして、状況はどれほど絶望的であっても、私たちの心に平安をくださいます。

神の偉大な力と平安は、いつも私たちを支えています。孤立無援になることは決してありません。

神の助けは、祈りのすぐそばにある。

赦しの祈り

アメリカ南部の白人だけの公立小学校に1960年、アフリカ系アメリカ人の児童、6歳のルビー・ブリッジが入学しました。彼女は罵声や脅し、中傷の中を毎日、連邦保安官に付き添われて登校しました。学校の中は安全でしたが、教室ではバーバラ・ヘンリ先生とふたりきりでした。他の教師たちは彼女を教えること、児童の親たちは、我が子を登校させることを拒否したからです。

遠方の地

エミー・カーマイケル(1867-1951)はインドで捨てられた女の子たちを救済したことで知られています。多忙を極める日々の中、彼女には「ビジョンの瞬間」と呼ぶ時がありました。著書「月明かりの金」には「忙しい一日のただ中に『遠く広がった国』を垣間見る時が与えられ、私たちは途上でしばしじっと立ち止まる」と書いています。

知恵からのメッセージ

英国の著名なジャーナリストであり社会批評家であるマルコム・マゲリッジは、60歳の時にイエスを信じました。そして75歳の誕生日、25の鋭い人生の洞察を公に語りましたが、そのひとつは「幸せな金持ちに会ったことは無いし、貧しくて金持ちになりたくない人にも、めったに会わない」というものです。私たちは、お金さえあれば幸せになるとは思っていませんが、それを確認するために、もう少しあればと思っているかもしれません。

赦すとは

ある日「父とふたりの息子―赦しの芸術―」という展覧会に行きました。その出品作はすべて、放蕩息子のたとえ話(ルカ15:11-32)を題材にしています。私はエドワード・リオハスの絵に特に心を動かされました。その絵は、わがまま放題に家出していった息子が、ぼろ布をまとい、うつむいて戻って来る様子を描いています。青年は死の国を後にして道を歩いていましたが、父はすでに彼に向って駆け出していました。その絵の下には「ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い」という聖書のみことばが添えてあります(20節)。

身をもって示す

私が家の物を修理しようとすると大概、問題を悪化させ、誰かにお金を払って解決してもらう羽目になります。ところが最近、修理の手順を一つひとつ示す動画を見ながら、ある家電器具の修理に成功しました。

協力しよう

なぜ、わざわざお金を払って、垂直の壁を登り、泥の中を進み、水が流れ落ちる垂直パイプの内側をよじ登るといった何キロもの障害物競争に、毎年500万人もの人が参加するのでしょう。自分の限界を試すため、恐れを克服するため、と言う人たちがいる一方で、その魅力は、競争する者同士が互いに助け合い支え合う協力だと言う人もいます。このコースを「無批判ゾーン」と呼んだ人がいます。レースを走り切るために見知らぬ人たちが協力する場所だからです(ステファニー・カノヴィッツ、ワシントン・ポスト紙)。