ぬくぬくと 安心
子どもの頃、私はテキサス州ダンカンヴィルの西に、家族といっしょに住んでいました。私たちの家は父が自ら建てた家で、小さなダイニングキッチンと、寝室が2部屋、そして広い居間がありました。居間には長さが60センチもの薪をくべられる石造りの暖炉があって、その暖炉は我が家を暖めてくれました。
御声を聴く耳
何年か前になりますが、息子と一緒にモンタナ州のマジソン川で舟釣りをしながら、数日間の気ままな旅を楽しみました。漕ぎ手も務める二人のガイド同伴です。
なきにも 等しい
ヤコブは、自分をそこそこ良い人間だなどと思ってはいませんでした。むしろ、自分は罪にまみれた人間だと思っていました(創32:10)。神の恵みに値しないと思っていました。彼は兄のエサウから長子の権利をだまし取り、兄に恨まれていました(27章)。幾多の年月が流れ、ヤコブは今、エサウに再会しようとしていました。
理解してくださるお方
友人の夫は重度の認知症で、施設に入所することになりました。自分の世話を担当する看護師に初めて会ったとき、彼は彼女の腕を引っ張って、「ここにいる私の親友を紹介します」と言いました。しかし誰もいなかったので、看護師は彼が妄想しているのだと思いました。ところが、彼が話している親友とはイエスのことだと分かったのです。彼女は深く感動しましたが、急いで別の患者の介護に向かわなければなりません。再び彼のところに戻った時には、彼の意識はすでにもやがかかっていました。
それはもう思い出さない
クリスチャンになった当初、私はいやな予感に悩まされました。イエスが再臨されたなら、自分のすべての罪は巨大スクリーンに映し出され、みんなに知られてしまうと思っていたのです。
知るべきこと
フェルナンド・オルテガのオリジナルソング「あるがまま我を」の間奏には、ビリー・グラハム博士の声が収録されています。その中でグラハム博士は、生死をさまよったときのことを振り返ります。自らの過去を思いめぐらし、自分がどれほどひどい罪人であり、どれほど神の赦しを日々必要としていたかを悟りました。
小さな場所の小さな事
自分は狭い場所で小さな奉仕しかしていない、と思っている人たちに出会うことがよくあります。彼らは孤独で元気がなく、自分のしていることは、あっても無くても同じだと感じています。彼らの話を聞くと、C.S.ルイスの著書「沈黙の惑星を離れて」に登場する天使のことを思います。彼は言いました。「私たちの仲間には大きさや数の話をしてはいけないという決まりがあるんだ…くだらないことに敬意を表し、本当に素晴らしいものを見過ごしてしまうことがないようにね。」
山の頂の穀物
今までにいくつもの山に登ってきましたから、山頂には大して何もないことを知っています。そこにあるのは、むきだしの岩とコケの類ぐらいです。豊かに育った穀物を見ることは、通常ありません。
直ぐな心
先日ある墓地で、古い墓石に刻まれていた碑文に目を引かれました。「J. ホルゲート - 正直な人」。ホルゲート氏がどんな人生を送ったのか分かりませんが、墓石が際立って豪華だったところを見ると、ひと山当てたに違いありません。彼は生前、何かに成功したのでしょうが、今、人々に覚えられているのは「正直な人」ということです。