寄稿者

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David H. Roper

David H. Roper

デービッド・ローパー氏は、30年余りの牧会経験の持ち主で、今はアイダホ・マウンテン・ミニストリーズの代表者です。これは、牧師夫婦を励ますために開かれたリトリート・センターです。ローパー氏は、妻キャロリンと川辺で過ごすことと釣りが趣味だといいます。

寄稿一覧 David H. Roper

昨日ほどではない

孫のジェイが幼いときのことです。両親が誕生日にTシャツをプレゼントしました。彼はすぐに着替えて、一日中、誇らしげに着ていました。翌朝もそのシャツで現れた息子に、父親が「ジェイ、そのシャツ、嬉しいかい?」と尋ねると、ジェイは「昨日ほどではないよ」と答えました。

ヘマンの正直さ

聖書のみことば:詩篇88

私のたましいは、悩みに満ち、私のいのちは、よみに触れていますから。―詩篇88:3

私は詩篇88篇を記したヘマンに感動させられます。彼は、「私のたましいは、悩みに満ち」ていると嘆きました(3節)。彼の人生は苦悩の連続で、苦しむことに疲れ果てていました。彼は人生を振り返って病の苦しみや不運を思いました。周りを見渡せば逆境の只中で誰からも見捨てられたと感じます。どこにも、慰めはありませんでした。「私は…心が乱れています」と彼は訴えました(15節)。彼は見放され(5節)、暗闇におり(6節)、悩み(7、15節)、見捨てられ(14節)ていました。トンネルの向こうに光はなく、彼の悲しみに解決はありません。

私は、ヘマンの正直さにほっとさせられます。悩まないクリスチャンがいるとしたら、なぜだろうと思います。もちろん程度の問題はあって、一日中、自分の悩みばかり話す人と一緒にいたいと思う人はいませんが、苦しんでいるのは自分だけではないと分かるとほっとします。

それに、ヘマンは正直なだけではありません。彼には、揺るがない堅い信仰があります。多くの試練に見舞われても、彼は神にしがみつき、朝も夜も神に叫びました(1、9、13節)。祈ることをやめず、けっしてあきらめませんでした。また、仮に見えなくても、神の真実、神の奇しいわざ、そして神の義(11-12節)が確かであることを、ヘマンは知っていました。

私はヘマンのような人が好きです。しっかり神にしがみついて、祈りをやめてはいけないと、私を励ましてくれるからです。—David Roper

祈りは何よりも希望を育てる土だ。

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黄金律

聖書のみことば:マタイ7:7-12

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。―マタイ7:12

自分がしてもらいたいように他の人にしてあげなさいという教えは黄金律で、多くの宗教で語られています。しかしイエスの独特なところは、今日の聖書のみことばの「それで」にあります。イエスはまず、天の御父の寛大さを表されたのです。

「してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタ7:11-12)。

私たちはみな、すべきだと分かっていることを実行していません。すなわち、神が私たちを愛してくださったように人を愛していません。しかしイエスは、すべての人の罪のために死ぬことで、完全な愛で道徳的にも立派に生きるということを実践されました。

愛情深く与えてくださる神がおられます。このお方は、御子イエスを通して、ご自分の愛のすべてを啓示するために、ご自身の利益を脇に置いてくださいました。神の寛大さが、自分がしてもらいたいように人にしてあげるという行為の原動力です。クリスチャンは、人を愛し、人に与えます。なぜなら、「神がまず私たちを愛してくださったからです」(Ⅰヨハ4:19)。

天の御父は、神の規範に従って生きるように私たちに求められます。同時に、それを実行するための力と愛もくださいます。私たちはただ、神に求めればよいのです。—David H. Roper

私たちは黄金律を暗記したが、次はそれを実践しよう。

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綿毛

くまのプーさんには「たとえ、話しかけている相手が聞いていないように見えても、じっと我慢。耳に小さな綿毛が入っちゃっただけかもしれないから」という名言があります。私はだんだんと分かってきました。自分のためになるのに、あなたの忠告を聞かない人の沈黙は、耳の中の小さな綿毛のせいかもしれないし、例えば、心が折れて落ち込んでいるというような、別の原因があるのかもしれません。

大いなる目覚め

息子たちが小さかった頃、家族ぐるみの友人たちと楽しく過ごした日々がありました。それは、私の大切な思い出です。大人たちは夜遅くまで話し込み、子どもたちは遊び疲れてソファで眠ってしまいました。やがて帰る時が来ると、私は子どもたちを抱いて表に出て、彼らを車の後部座席に寝かせました。そして運転して家に着くと、彼らをベッドに寝かせ、おやすみのキスをし、明かりを消しました。朝になると、子どもたちは自分の家で目を覚まします。

驚くべきあわれみ

大学生の夏、コロラドの大農場で働きました。一日中トラクターで牧草を刈った日の夕方、お腹を減らし疲れて母屋に戻りました。そしてベテラン運転手まがいの勢いでハンドルを切り、ブレーキを強く踏んでトラクターを左に回転させて駐車しました。すると、刈り取り機の爪が、横にあった2千リットル入りのガソリンタンクの脚に当たったのです。タンクは大音響を立てて地面に倒れ、継ぎ目が壊れてガソリンが流れ出してしまいました。雇い主である農場の主人は、そばでその一部始終を見ていました。

父と子

私の父は良い父親で、私も大方のところ素直な息子でした。しかし、父に心を見せていたとは思いません。父は無口な人で、私もそうでした。私たちはよく並んで何時間もともに働きましたが、会話はほとんどありませんでした。父は何も尋ねず、私も自分の希望や夢、不安や恐れを明かすことはありませんでした。

以前より良い人に

スコットランドの宿屋で、釣り人たちが、夜、談笑していたところ、サケを仕留めた話をしている人の腕がテーブルに当たり、コップが壁に向って倒れました。白いしっくいの壁に、くっきりとシミがついています。その人は宿屋の主人に謝罪して、修理代を払うと言いましたが、壁からシミは取れません。ところが、そばにいた人が「大丈夫だ」と言って立ち上がり、絵の道具をポケットから取り出すと、汚いシミの周りに絵を描き始めました。するとどうでしょう。徐々に、雄大なシカの頭が現れました。何と、その男性はスコットランドきっての動物画家、エドウィン・ランドシーアだったのです。

永遠の幸福

やりたいようにやるという生き方で幸福になれると聞きますが、それは間違いです。その考え方は、虚しさや不安、苦悩を生むだけです。詩人のW.H.オーデンは、快楽の中に逃げ場を探す人々を観察し、「お化けの森に迷ってしまった、夜を怖がる子ども、決して幸せにも善良にもなれない」と書いています。