寛大さを示す
友人のアーチィが休暇から戻ると、隣の家の人が庭に柵を立てていました。その柵はアーチィの庭に入り込んでいたので移動するよう交渉しました。しかし交渉は難航し、費用の半分を出すと提案しても、聞き入れてくれません。アーチィは隣人を訴えることもできましたが、結局、甘んじて受け入れました。神の寛大さを示すためです。アーチィは弱虫ではありません。強い人ですが、主にあって寛大であることを選んだのです。
復活といのち
聖書のみことば:Ⅰコリント15:1-11
わたしは、よみがえりです。いのちです。—ヨハネ11:25
イエスは「わたしは、よみがえりです。いのちです」と言われました(ヨハ11:25)。大胆な発言をしても、それを裏づけする行動がなければ何にもなりません。イエスは、実際に死からよみがえられて、ご自分の発言が真理であることを証明されました。
ジョージ・マクドナルドは「もし、神の子が死んでよみがえったと信じるなら、あなたの将来は、人生という丘の向こうから永遠に沈まない太陽が昇る夜明けのようだ。そのような希望は、最高の想像力に恵まれた詩人の心にさえ思い浮かばない」と書いています。
神の御子は、死んでよみがえられました。イエスの復活は、神が私たちをも死からよみがえらせてくださることの保証です。私たちは、考えたり、感じたり、記憶したり、理解したりする存在として永遠に生きるのです。
永遠に生きるとは、神が与えてくださった、永遠を思う心で今を生きるということです。また、死に別れた信仰の友と再会することであり、悲しみのない世界に住むことであり、すべてを捨てて私たちと永遠にひとつになってくださったイエスにお会いすることです。
もうひとつ言えることがあります。それは、今の人生だけでなく、次の人生もあるのですから、今が完全である必要はありません。しばらくは、完全に健康とは言えなくても大丈夫ですし、困難、孤独、貧困、心痛にも耐えていけます。なぜなら、よみがえりのいのちがあるからです。それは、天の御国で永遠に生きるいのちです。
復活が私たちの信仰の基だ。
神の声を聞く
父は昔、難聴の不便さを語っていましたが、私も年配になり、今では補聴器をつけています。補聴器は非常に役立ちますが、騒々しい場所は例外です。室内のすべての音を拾い上げてしまうので、目の前で話している人の声が聞き取れないのです。
いつまでも幸せに?
聖書のみことば:Ⅰペテロ3:1-12
あなたがたは、…外面的なものでなく、…心の中の隠された人がらを飾りにしなさい。—Ⅰペテロ3:3-4
おとぎ話では、「ふたり」は結婚していつまでも幸せに暮らすのですが、現実の世界にその保証はありません。歯車が狂うことがあるからです。最悪の状況になる場合さえあります。良かれと思ったことが裏目に出て傷つき、恨みと不安で暗い家庭になってしまうかも知れません。不幸な結婚生活ほど耐え難いものはありません。
しかし、問題をかかえた結婚生活は、「心の中の隠れた人がら」(Ⅰペテ3:4)を神に取り扱っていただく環境になります。ですから、相手の欠点ばかりに注目せず、自分の心に潜む悪に気づくよう心を開いて願わなければなりません。神は、優しくゆっくりとその祈りに応えてくださり、私たちはありのままの自分を見るようになります。そして、自分は自らが思っていたように、思いやり深く、親切で忍耐強い人物ではなく、礼儀正しくも、寛大でも、自制心があるわけでもない、と悟ります。自分が不当に扱われても仕返しなどせず愛情深く正しい行いをするためには、救い主の赦しと聖霊の助けがどれほど必要なのか、分かるようになります(1-12節)。
恵みの中で私たちが成長すれば、相手は変わるかも知れません。しかし、変わらないかも知れません。人生で、神の愛以外に保証できるものは、何も存在しません。しかし、神の助けがあれば自分を変えることができます。結婚生活の悩みがすべて解決しなくても、神の恵みは私たちを健全にします。
結婚生活はふさわしい相手を見つけるのではなく、ふさわしい相手になることで成功する。
父に似る
私は父の履き込んだカウボーイブーツを書斎に置いて、彼の人柄を常に心に留めています。父は他のことに加えて、馬の飼育と調教をしていました。少年の頃、私は父に憧れ、父のようになりたいと思っていました。80代になった今でも、まだ父には及ばないと感じます。その父は今、天国にいます。
柔和さ
大変な状況にあると不機嫌になりがちですが、それは言い訳に過ぎません。悪い態度は、家族や周りの人の心をしおれさせ、嫌な気分にさせます。人に気持ち良く接する術を学んでいないなら、人に対する義務を果たしたとは言えません。
心が帰る場所
ウェストハイランドテリアを飼ったことがあります。これはアナグマの穴に入って行き「敵」と闘うことを目的に育種された小型犬です。我が家の犬にその役割は不要ですが、その本能は残っていました。ある時、裏庭の石の下に何かがいると気づくと取りつかれたように地面を掘り、石の下に2メートルほどのトンネルができてしまいました。
順番を待って
桜の古木が枯れそうなので樹木医を呼んだところ、すぐ手当てが必要だと言われました。妻は木に向かって「順番を待ってね」とつぶやきました。最近、厄介な事ばかり起こっているからです。
被造物の世話をする
オワイヒー川では毎年、秋になると、ビッグブラウンと呼ばれる褐色マスが産卵のために巣作りを始めます。魚は砂利の多い浅瀬を掘って巣を作るのです。