桜の古木が枯れそうなので樹木医を呼んだところ、すぐ手当てが必要だと言われました。妻は木に向かって「順番を待ってね」とつぶやきました。最近、厄介な事ばかり起こっているからです。

世情の悪化や親子や夫婦の問題、仕事、家計、健康上の不安など、心配ごとばかりという時期は誰にでもあります。しかしイエスは言われます。「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます」(ヨハ14:27)。

イエスの毎日は騒動、苦悩、疲労の連続でした。家族や友人に誤解され、敵対する人たちに追い詰められ、枕する所さえ無い日も度々ありました。しかし、イエスは不安気ではありません。機嫌の悪さも全く見られません。主は心の静けさを持ち続けておられました。これがイエスの平安です。それは私たちを過去、現在、未来に関する不安から解放します。私たちは、イエスが体現するこの平安をいただいています。

どんなに切迫した状況でも、またどんな小さな不安でも、イエスのもとで祈ることができます。主の臨在の中で、自分の心配や不安を打ち明けることができます。そうするなら、神の平安が心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれると、使徒パウロも保証しています(ピリ4:7)。災難つづきと思うときでも、イエスの平安は無くなりません。