神の灯台
ミッション・ポイント・ライトハウスという灯台が、1870年にミシガン州北部の半島に建てられました。ミシガン湖を航行する船舶が砂州や岩礁に乗り上げないよう、注意を促すためです。この名前は、オールド・ミッションと呼ばれる地域の教会(別の意味での灯台)に由来しています。
1839年、ピーター・ドウアティ牧師は、神の召しに応えてオールド・ミッションの教会の牧師になりました。この教会は半島をさらに南に下った地区に住んでいた、アメリカ先住民が集う教会でした。しかし、白人牧師のリーダーシップのもと、先住民の教師や農民、職人たちは、みな一緒になって、この共同体の生活向上を目指して働きました。
キリストを信じる人たちが人種や民族を超えて一致して働くとき、その共同体は、暗い世の中で霊的な光を放ちます(ピリ2:15-16)。イエスは言われました。「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。…このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタ5:14-16)。
ミッション・ポイント・ライトハウスは、航行する船舶に危険を知らせました。その名の由来となったオールド・ミッション・チャーチは、耳を傾けるすべての人に、霊的方向を示しました。個々のクリスチャンも、自分の生活を通して、また教会を通して、この働きをします。私たちは神の灯台です。イエスが私たちの内に住んでくださっているからです。
エール
ジョン・グレンは1962年に、地球周回軌道を初めて飛行したアメリカの宇宙飛行士です。ロケットが上昇したとき、地上の管制官はジョンに向けてエールを送りましたが、それは「神があなたを繁栄させてくださるように!」という意味の言葉でした。
このような支援の気持ちを表すことばのふさわしい使い方について、聖書の中に教えが残っています。それは、ヨハネの手紙第二1章10節に「あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません」と記されている、この「あいさつのことば」と訳された部分です。
使徒ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれていました。にもかかわらず、なぜ、このように教えたのでしょう。それは、当時の伝道者たちの生活に関連しています。伝道者たちは、各地で教えを宣べ伝えましたが、その際の宿や食事は、キリスト者である兄弟姉妹が提供していました。ヨハネは、聖書の真理が重要であり、旅の伝道者の教義が使徒の教義と違うならば、その人を家に泊めたり、お金をあげて支援をすべきではないと教えたのです。
これは今日のクリスチャンにも言えることです。私たちは、神にあわれみを受けているのですから、すべての人に親切にしなければなりません。しかし、誰かの計画に金銭的な援助を求められたときは、いつでも、神の知恵を求めなくてはなりません。私たちを真理へ導いてくださる聖霊(ヨハ16:13)は、いつ、誰を支援するのが適切なのかを示してくださいます。
新しい目
最近、キリストを信じたという大学生に会いました。彼女は、救われて最初に起こった変化について、次のように語りました。
「キリストの救いを信じたとき、神が天から降りて来られて私の目をつけ替えてくれたように感じました。霊の真理が理解できるようになったのです。」
救い主と出会って霊の目を得たと語るこの女子大生の話は感動的です。しかし、彼女の経験はめずらしいものではありません。すべての人は、キリストを救い主と信じたときに、霊の目を授かります。けれどもときどき、霊の目に霧がかかってはっきり見えなくなることがあります。それが起こるのは、私たちが自分とキリストとの関係をぞんざいに扱ったときです。
使徒パウロは、「心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか」を理解できるようにと、エペソのクリスチャンのために祈りました(エペ1:18-19)。彼は、クリスチャンが心の目を開かれることを熱心に祈り求めたのです。このことから分かるのは、キリストにあって神が成してくださったこと、また今後もしてくださることを十分に理解し感謝することは、私たちにとって非常に重要だという真理です。キリストを信じる人には、霊的な真理を見定める新しい目が与えられています。神としっかり向き合うならば、キリストにあって与えてくださったすべてのものをその新しい目で見ることができるように、神が助けてくださいます。
招待者リスト
クムランというユダヤ人の共同体が一世紀に存在しましたが、彼らは世俗の影響を受けずにメシヤの到来に備えようと、社会から隔絶して孤高の生活をしていました。彼らは祈りの生活や洗いの儀式、行動規則の遵守に力を入れていました。発掘された文書によると、彼らは目や手足の不自由な人たちを共同体に受け入れなかったそうです。これは、身体に欠陥のある者は誰でも宗教的に汚れている、という信念に基づいており、そのような人たちが食事に招かれることはありませんでした。
その同じ時期、イスラエルの救い主イエス・キリストは、ユダヤやガリラヤの町や村で活動しておられました。父なる神の御国を宣べ伝え、人々を教え、慰め、素晴らしい奇跡を行っておられました。驚くことに、イエスはこう言われました。「祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。…あなたは幸いです」(ルカ14:13-14)。
イエスのみことばと、宗教界のエリートであるクムラン共同体の招待者リストは対照的です。そして、それは次のことを教えています。つまり、私たちの交わりは、自分と同じような人、自分と同じ考え方の人、また自分と同じように行動する人同士の交わりになる傾向にあります。しかし主は、私のようにすべての人を受け入れなさいと、強く勧めておられます。
栄光を受ける準備
牧師であり聖書の解説者であったマーティン・ロイドジョンズは、1981年3月1日、死の床にありました。彼は1939年から1968年まで、ロンドンのウェストミンスター・チャペルの牧師として仕えました。人生が終わりに近づいたとき、彼は話す能力を失っていました。そこで、これ以上自分の回復のために祈って欲しくないと知らせるため、「栄光に向かっていく私を、どうか引きとめないで」と紙に書いたのです。
人の命は大切ですし、この世を去って天国に行く家族や友人を見送るのは辛いものです。しかし、神は、いつ誰を御国に呼び寄せるか、決めておられます。詩篇116篇15節は「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」と語ります。
自分の死が近いと知ったとき、使徒パウロは、天国で自分を待っているものに励まされ、次のように述べました。「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです」(Ⅱテモ4:8)。
私たちが今、人生の旅のどこにいたとしても、終着駅は主のみもとです。聖書は「実はそのほうが、はるかにまさっています」と語ります(ピリ1:23)。このみことばは、逆境に自信を持って立ち向かう助けとなります。また、キリストが準備された栄光の家に向けて旅立とうとする人たちを見送らなければならないとき、私たちの心を慰めてくれます。
十分に整えられる
医療用メスの開発者でスイス人のカール・エルズナーは、何年もかけて軍仕様のナイフを制作しました。19世紀のことです。このスイスアーミーナイフは、その鋭い切れ味と多機能性で今日でも多くの人に知られています。小刃、金属のこぎり、はさみ、ルーペ、缶切、ドライバー、定規、ボールペンなど、多彩なツールがセットされていて、野外でキャンプをする人たちに、「これがあれば大丈夫」と感じさせてくれるのです。
私たちクリスチャンにも、罪にまみれたこの世を正しく生き抜くために、「これがあれば大丈夫」と感じさせてくれる何かが必要です。そのために、神はご自身のみことばをくださいました。パウロはこう語っています。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」(Ⅱテモ3:16-17)。
「整えられ」ると訳されている単語は、「完全に適応させる」または「きちんと取り付ける」という意味です。聖書は次のようにして私たちを整えてくれます。第一に、「教義」という霊的真理が与えられます。次に、私たちの不完全な部分を示し「戒め」てくれます。さらに、私たちが罪を犯したとき、それを示して「正して」くれます。最後に、正しい人生を生きるために「指導」してくれます。
神のみことばほど価値あるツールはありません。みことばは、私たちが信仰者として歩み続け、霊的な成長を遂げるために不可欠なものです。
永遠の手紙
ホビー・ロビーという手芸チェーン店の創設者の家族は、キリストを信じて生まれ変わった人たちです。社長のスティーブ・グリーン氏は聖書のみことばが大好きで、世界中の稀覯(きこう)本や古文書を集めた聖書博物館を建てたいと願っています。「聖書が何を語っているのか人々に考えてもらいたくて、聖書の話にまつわる博物館を作りたいと思っています。
平和なクリスマス
マシュー・リットは著書の「クリスマス1945」で、第2次世界大戦が終結した後、平和になったアメリカで初めて祝われたクリスマスの出来事を記しています。ニューヨーク・デイリーニュースは、ニューヨーク湾に海軍の艦隊が来訪すると告知しました。「12月25日のクリスマスには、戦艦4隻、航空母艦6隻、巡洋艦7隻、そして駆逐艦24隻から成る巨大な船団が現われる」と記されていました。
27パーセント
聖書の預言に対する関心度は人によって違います。クリスチャンの中には、預言を常に気にしていて、世界の時事について、これはキリストの再臨が近い兆候だという話をいつもしている人がいます。その一方で、預言に全く関心が無く、預言とクリスチャン生活は関係しないかのように思っている人もいます。