究極のウェーブ
スポーツの試合や野外コンサートなどで、観客がよく「ウェーブ」というパフォーマンスをします。数名の人が両手を高く掲げて立ち上がると、隣の人が即座に同じことをし、また次の人…と繰り返し、会場全体が波打っているように見せるのです。うまくいくと、最初に始めた人たちは笑顔で歓声を上げます。記録に残る最初の「ウェーブ」は、1981年の大リーグ、オークランド・アスレチックス対ニューヨーク・ヤンキース戦です。
目的と熱意を持って
空港に行くために車を出し、妻が3歳の孫に「バケーションに出かけよう!」と元気よく言うと、オースチンは神妙な面持ちで「僕はバケーションには行かない。ミッションに行くんだ」と応じました。
コツコツやる
神は世間が気にも留めない人を好んで用いられます。18世紀、寒村に生まれたウィリアム・ケアリーは、大した教育も受けず、仕事もうまくいかず、貧しい暮らしでした。しかし、神は彼に福音宣教の情熱を授け、宣教師にされました。ケアリーは、ギリシャ語、ヘブル語、ラテン語を学び、ついには新約聖書をベンガル語に翻訳しました。今日では「近代海外宣教の父」と呼ばれていますが、甥に宛てた手紙には、自身の能力が謙虚に綴られています。「私はコツコツ頑張れる。辛抱強く耐えられる」と。
失敗した
撮影班を伴った宝探しの一行が、1939年11月27日、ハリウッド野外音楽堂の外を掘り始めました。カフエンガ峠の宝という75年程前の金やダイヤモンド、真珠などを含む秘宝を探していたのです。ところが開始24日目に大きな岩に突き当たり、幅2.7メートル、深さ12.8メートルの大穴を開けただけで頓挫しました。
贖いの希望
その男の罪は贖えるでしょうか。8回の狙撃で6人を殺害。1500件近い放火で1970年代、ニューヨーク市を恐怖に陥れました。現場には警察を愚弄する声明が残っていました。しかし、ついに捕まり、終身刑になりました。
光の守り人
ノースカロライナ州の沖合、ハッテラス島の岬にある灯台には、1803年以来、灯台を守ってきた人たちの記念碑があり、彼らは「光の守り人」と呼ばれています。
ご覧になるお方
妻の「まあ!」という声とともにラブラドールレトリーバーの「マックス」が台所から飛び出しました。カウンターの端のトレーにあったラムの骨付き肉が無くなっています。マックスはベッドの下に隠れましたが、頭と上半身だけしか入りません。頭隠して尻隠さず、とはこのことです。
救うもの
最も勇敢な生存者と言われた人は、予想外の人でした。銃を持つことを拒否した衛生兵デズモンドは、単独で銃撃の中をくぐり抜け、彼の信仰をあざ笑い、臆病者と呼んだ人も含め、75人の負傷兵を救出したのです。彼は「主よ、もうひとり…」と祈りつづけました。その勇気に勲章が授与されました。
すべてを知る
急な山の斜面から母の車を引き上げたレッカー車の運転手は「生きているなんて奇跡ですよ。神さまが守ってくれたんですねぇ」と、地面についたタイヤの跡を見ながら母に言いました。当時、母は私を妊娠していたので、私たちふたりの命が、神に救われたという話を幼いときから何度も聞いてきました。そのたびに母は、私は生まれる前から神の目に尊かったと断言しました。