お帰りなさい
ジムは10歳の時にキリストに従っていこうと決心しましたが、15年後、その決意は消えかけていました。今を楽しむという生き方をして、悪い習慣も身につけていました。しばらくして、人生の歯車が狂い出しました。仕事がうまくいかなくなり、3人の家族をほとんど同時に亡くしました。恐れと疑いにさいなまれ、どうすれば良いのか分からなくなりました。そんなある日、詩篇121篇2節のみことばが目に止まりました。「私の助けは、天地を造られた主から来る。」このみことばが、ジムの不安や迷いを断ち切ってくれました。神のもとに戻り、助けを求めると、神は喜んで彼を受け入れてくださいました。
すべてに定まった時期
米国のフォーク・ロック・バンドのバーズは、1960年代に「ターン・ターン・ターン」という歌をヒットさせました。この歌はビルボードのヒットチャートの首位まで登り、世界中で流行しました。人々はこの歌の歌詞に魅了されたようですが、おもしろいことに、それは最後の一行を除いては、旧約聖書の「伝道者の書」のみことばでした。
嵐の中の神
その日は早朝から風が強く、小石が降ってでもいるかのような大きな雨音が屋根から聞こえていました。窓の外をみると、黄みがかった灰色の空の下で木々が強風に揺さぶられています。時折、稲妻が空をパッと照らし、骨まで響くような雷鳴がとどろきます。家の電気が消えたりついたりして、この悪天候はいつまで続くのだろうと不安でした。
危険な挑戦
何百万の人たちがテレビ中継を見つめる中で、ニック・ワレンダは直径わずか12センチのワイヤー上を約550メートルも歩いてナイアガラの滝を横断しました。彼は出来る限りの準備をしました。しかし、滝の高さと激流の他にも、視界をさえぎる霧、バランスをおびやかす強風、足元を滑りやすくする水しぶきという悪条件が、彼を大きな危険にさらします。これらの真っただ中で、(そして恐らく、これらの危険があったからこそ)、彼は何度も祈り、神を賛美したそうです。
私は何者?
世界的に有名な伝道者ビリー・グラハムの話です。昔、イギリスのケンブリッジ大学で講演することになったとき、洗練された思想家たちに語る資格は自分にはないと感じたそうです。大した学歴もなく、神学大学にも行っていなかったからです。彼は「こんなに分不相応でいたらない者だと感じた働きは今までにない」と友人に打ち明け、神に助けを求め祈りました。すると神は、キリストの福音と十字架の真理をありのまま語りなさいと示されました。
父に従う
父を思い出すときに心に浮かぶ格言があります。「どう生きろとは教えてくれなかったが、自身の生き方を見せることで、それを教えてくれた。」10代の頃、父が神とともに歩んでいるのを見ていました。父は信徒でしたが、礼拝奉仕をし、日曜学校の成人クラスで教え、献金の集計を手伝い、役員としても奉仕しました。教会の外では、福音を揶揄(やゆ)する人の中にいても忠実にキリストを語り、よく聖書を読みました。父は神に対する愛を、目に見える様々な行動を通して表していました。
脱出の道
ウエストバージニア州のアパラチア山脈に沿って走るハイウェイ77号線には、あちこちに退避所が設けられています。これは半舗装の車線で、10キロ程度の距離で高低差が400メートル以上ある坂道に設けられています。曲がりくねった坂は、ドライバー、とりわけトラック運転手にとっては難所です。
綱引き
近所の書店が模様替えをしたというので足を運んでみると、宗教書コーナーには、占いやオカルトなどの本が増えていました。この書棚を見ていると、まるで光と闇が綱引きをしているようです。通路に面して片側にキリスト教関連の本が、反対側にオカルト関連の本が並んでいて、その数はほぼ同じです。
解放の原則
ゲイル・ブランキは自著「今すぐ50個手放しなさい!」で、「手放しのルール」として、人生から「がらくたの山」を一掃する方法を記しています。最初の原則はこれです。「もし、それを見ると落ち込んだり、ひっかかったり、自分で自分が嫌になったりするなら、それを捨てるなり、誰かにあげるなり、売るなりして、自分の前から消し去りなさい。そして、前進しましょう。」