すべてご存知
我が家に2年間、フィンという名の熱帯魚がいました。幼い娘が水槽の前にしゃがみ込み、餌をやったり話しかけたりしていました。幼稚園でペットの話になると、自分の魚だと自慢したものです。フィンが死ぬと、娘のショックは大変なものでした。
美しい時
灰色の空に冬枯れの木々、薄っすら積もった雪の下にのぞく茶色い草。今日もうっとうしい真冬の景色が広がっていると思っていたある朝、珍しいことが起きました。霜が降りて、すべてが氷の結晶でおおわれていました。暗く生命感のない風景は、太陽の光でまばゆく輝く美しい景色に変わっていました。
私たちを導く灯
古代のランプの展示を美術館で見ていると、イスラエルのランプもありました。装飾を施された楕円形の粘土の容器には燃料と芯のために2ヶ所の開口部があります。これらは当時、主に壁のくぼみに置かれましたが、大きさは手のひらサイズです。
危険物
サイレンの音が段々と近づき、トラックが耳をつんざく音を立て猛スピードで通り過ぎました。車のフロントガラスから点滅灯に照らされた「危険物処理」の文字が見えました。後からニュースで化学薬品工場の貯蔵タンクから硫酸が漏れ出たと知りました。大惨事になりかねない緊急事態だったのです。
もっとよく見たい
彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。—ルカ19:3
子どもの頃、木登りが大好きでした。登るほどに眺めがよかったので、時には枝がしなるところまで登ったりもしました。しかし、それは昔のことです。もう、大人なのですから。
ザアカイは裕福な大人でしたが、世間体(そして多少の危険)も顧みず、木に登りました。エリコの町を巡っておられたイエスを見ようと思ったのですが「背が低かったので、群衆のために見ることができ」ません(ルカ19:3)。しかし、そんなことでひるまなかったのは幸いでした。彼の企ては成功し、イエスとお会いできたのです。イエスとの出会いは、彼の人生を永遠に変えました。イエスは「救いがこの家に来ました」と言われました(9節)。
私たちにも、自らの自尊心によって、また不安や名誉欲や物欲によって、イエスが見えなくなる時があります。主イエスが素晴らしい助言者であり、平和の君であり(イザ9:6)、本当の満足をいただけるいのちのパン(ヨハ6:48)であることが見えなくなります。
イエスをもっとよく見るために、どんなことをしようと思いますか。イエスに近づこうとする真摯な努力は、必ず良い結果をもたらします。神は、ご自分を熱心に求める人を喜んでくださいます(ヘブ11:6)。—Jennifer Benson Schuldt
主イエスよ、あなたの全てを感謝します。私が聖書を読んだり祈ったりするとき、さらにあなたを表してください。心を尽くし、思いを尽くして、あなたを追い求めさせてください。
信仰を強くするために、神の御顔を慕い求めよう。
分かってくださるお方
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。—ヨハネ1:14
ジョン・バブラーは、テキサス州のある町の警察署と消防署でチャプレン(職場の牧師)ですが、長期の特別休暇を利用して警察官訓練所に通いました。自分が仕えている人たちをもっと理解したいと思ったからです。候補生たちとともに過ごし、警察官が直面する厳しい課題について学んだことで、バブラー牧師は更なる謙遜と共感を身につけました。今後は、精神的ストレス、疲労、喪失にさらされる警察官を、より効果的に支援したいと願っています。
神は私たちを造られ、私たちに起こることをご存じですから、すべての状況を理解しておられます。その上、人としてこの世の人生を経験されたのですから、私たちの問題をご存じです。イエス・キリストは「人となって、私たちの間に住まわれ」ました(ヨハ1:14)。
イエスの人生には、さまざまな困難がありました。焼けるような太陽の熱、空腹の辛さ、安住する家のない不安を経験されました。批判や裏切り、度重なる脅しにもさらされました。また、友情や家族の愛という喜びや、この上ない痛みや死も経験されました。
イエスは、私たちの不安を洞察と思いやりを持って忍耐強く聞いてくださる不思議な助言者です(イザ9:6)。イエスは希望をくださいます。イエスは、私も経験したから分かりますと言うことができるお方です。—Jennifer Benson Schuldt
親愛なる主よ、ご自分を低くして人になるほどに、私たちを心配してくださり、感謝します。あなたは私の人生の全てを理解しておられます。私の悩みをあなたにおゆだねします。心から感謝します。
神は、私たちの困難を分かってくださる。
もっとよく見たい
聖書のみことば:ルカ19:1-10
彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。―ルカ19:3
子どもの頃、木登りが大好きでした。登るほどに眺めがよかったので、時には枝がしなるところまで登ったりもしました。しかし、それは昔のことです。もう、大人なのですから。
ザアカイは裕福な大人でしたが、世間体(そして多少の危険)も顧みず、木に登りました。エリコの町を巡っておられたイエスを見ようと思ったのですが「背が低かったので、群衆のために見ることができ」ません(ルカ19:3)。しかし、そんなことでひるまなかったのは幸いでした。彼の企ては成功し、イエスとお会いできたのです。イエスとの出会いは、彼の人生を永遠に変えました。イエスは「救いがこの家に来ました」と言われました(9節)。
私たちにも、自らの自尊心によって、また不安や名誉欲や物欲によって、イエスが見えなくなる時があります。主イエスが素晴らしい助言者であり、平和の君であり(イザ9:6)、本当の満足をいただけるいのちのパン(ヨハ6:48)であることが見えなくなります。
イエスをもっとよく見るために、どんなことをしようと思いますか。イエスに近づこうとする真摯な努力は、必ず良い結果をもたらします。神は、ご自分を熱心に求める人を喜んでくださいます(ヘブ11:6)。
主イエスよ、あなたの全てを感謝します。私が聖書を読んだり 祈ったりするとき、さらにあなたを表してください。心を尽くし、思いを尽くして、あなたを追い求めさせてください。
信仰を強くするために、神の御顔を慕い求めよう。
分かってくださるお方
聖書のみことば: ヨハネ1:1-18
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。—ヨハネ1:14
ジョン・バブラーは、テキサス州のある町の警察署と消防署でチャプレン(職場の牧師)ですが、長期の特別休暇を利用して警察官訓練所に通いました。自分が仕えている人たちをもっと理解したいと思ったからです。候補生たちとともに過ごし、警察官が直面する厳しい課題について学んだことで、バブラー牧師は更なる謙遜と共感を身につけました。今後は、精神的ストレス、疲労、喪失にさらされる警察官を、より効果的に支援したいと願っています。
神は私たちを造られ、私たちに起こることをご存じですから、すべての状況を理解しておられます。その上、人としてこの世の人生を経験されたのですから、私たちの問題をご存じです。イエス・キリストは「人となって、私たちの間に住まわれ」ました(ヨハ1:14)。
イエスの人生には、さまざまな困難がありました。焼けるような太陽の熱、空腹の辛さ、安住する家のない不安を経験されました。批判や裏切り、度重なる脅しにもさらされました。また、友情や家族の愛という喜びや、この上ない痛みや死も経験されました。
イエスは、私たちの不安を洞察と思いやりを持って忍耐強く聞いてくださる不思議な助言者です(イザ9:6)。イエスは希望をくださいます。イエスは、私も経験したから分かりますと言うことができるお方です。
親愛なる主よ、ご自分を低くして人になるほどに、私たちを心配してくださり、感謝します。あなたは私の人生の全てを理解しておられます。私の悩みをあなたにおゆだねします。
神は、私たちの困難を分かってくださる。
三つ編み
友人が40年以上育てたという観葉植物を譲り受けました。私の背丈ほどで3本の細長い幹に大きな葉がついています。その後、3本の幹は、葉の重みでしなってしまいました。私は鉢植えを太陽の当たる窓際に置きました。こうすれば、葉が太陽へ向かって伸び、幹がまっすぐになるだろうと思ったのです。