タコスでも大丈夫
アシュトンとオースティンは聖書学校を卒業し、イエスに仕えようと志していましたが、牧師など従来型の奉仕に召されているとは感じませんでした。むしろ、世界の必要に仕えたいと思いました。ふたりは子どもの飢餓撲滅に重荷を持ち、起業する能力を神からいただいて、2014年にメキシコ料理のタコスを売り始めました。しかし、普通の店ではなく、ひとつ買って、ひとつ与える、という経営方針です。つまり、ここでタコスをひとつ買うと、栄養失調の子どもに一食食べさせるお金を寄付することになります。すでに60ヵ国以上の子どもたちを助けました。目標は子どもの飢餓撲滅です。一つひとつのタコスが、意味を持つのです。
世の中の問題
後々まで語り草になった話ですが、英国のタイムズ紙が19世紀の終わりに「世の中、何が問題なのだろう」と読者に質問しました。実際、枚挙にいとまがないといったところでしょう。タイムズ紙はたくさんの回答を受け取りましたが、特に卓越した簡潔な答えがありました。作家であり、詩人、哲学者でもあったG.K.チェスタトンの回答で、「私です」の一言でした。責任転嫁が世の常ですから、一服の清涼剤です。
精一杯する
フィットネス業界で「スケーリング」というと、自分のレベルで参加できるように調整するという意味です。例えば、腕立て伏せを10回できる人もいますが、私のように4回が精一杯の人もいます。すると、インストラクターは言います。「全力でその4回を行いましょう。人と比べないで。今の自分にできることを根気よく続けましょう。やがて、7回、10回とできるようになりますよ!」皆が同じレベルでなくとも、同じ方向を目指せるのです。
父に倣って
シカゴのウエスト・サイド地区のノース・ローンデールは1960年代、異なる人種がともに生活できる試験的な街でした。一握りの中流のアフリカ系アメリカ人が家を買いましたが、その契約は、非常に不当なものでした。買い手は月々のローンを支払っても所有権が認められず、一度でも支払いが遅れると、それまでの返済が無かったことになり、家も即、取り上げられるというものだったのです。悪徳業者が値をつり上げ、支払いの遅れた家族を立ち退かせました。そして別の家族が契約し、立ち退かされるという、欲まかせの悪循環が繰り返されました。
小さな火花
声を聞いただけで娘が怖がっているのが分かりました。「今、図書館にいて、すぐ外に炎が見えるわ!」しかし、どれほど怖くても、大学のキャンパスが、彼女や約3,000人の学生たちにとって最も安全な場所でした。2018年のウールジーの山火事は、関係者の予想を超えた速度で延焼しました。カリフォルニア峡谷の記録的な暑さと乾燥、加えて「サンタ・アナの風」と呼ばれる局地風の影響もあり、小さな火花が、970平方キロを焼き尽くして1,600棟以上の建物と3人の命を奪う大火事の原因になりました。鎮火後に撮影された写真では、緑豊かな海岸線は変わり果て、不毛の月面の様相を呈していました。
まっすぐ前に
昔のトラクターやコンバインは、前方を注視しハンドルをしっかり握っていないと、真っ直ぐ前進しませんでした。しかし、どんなに目が良くても、時に畝は重なって見えます。強靭な腕も一日の終わりには疲れ果てます。しかし、今ではGPS機能を用いた自動操舵システムのおかげで、数センチの狂いもなく、耕したり、植えたり、散布したりできます。非常に効率的で手間いらずです。巨大なコンバインの操縦席で、ハンドルの代わりにサンドイッチを手にし、食べている姿を思い浮かべてください。これは真っ直ぐ前進することを可能にした素晴らしい技術です。
お父さんの子
古ぼけた写真を見ていた子どもたちが顔を上げ、私と父を交互に見比べました。そして目を皿のようにして「父さんは、若い頃のおじいちゃんにそっくりね!」と言いました。父と私は苦笑いしました。そんなことはふたりともとっくの昔から分かっていたのですが、子どもたちは今ごろ気づいたようです。私たちはもちろん別の人間ですが、私は若い頃の父に瓜二つです。ひょろりと背が高く、ふさふさとした黒髪、わし鼻に大きめの耳。私と父とは別人ですが、私はどこから見ても彼の息子です。
語り部
昔話の「むかし、むかしあるところに」という語りは、古今東西、力ある言葉と言ってよいでしょう。子どもの頃、その言葉に何度も引き付けられた思い出があります。
喜んで与える人
ずいぶん前のことですが、妻に思いがけない収入がありました。全く期待していなかったのに、小切手が郵送されてきたのです。同じ頃、親しい友人が、発展途上国の女性の自立事業について話してくれました。この人たちは、自ら学び、小規模ビジネスで自立したいと願っていますが、最大の壁は、ご多分にもれず、資金でした。